chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

神聖なものとは

昔の中国人は、文字を神聖なものと考えていた・・・らしい。
漢字の起源である「甲骨文字」とか見れば、骨に文字を書く行為が神聖なものだったろうと想像するのは難しくないね。
で、それが発展してめちゃめちゃ複雑な漢字文化に発展した。
 
日本人は漢字が入ってくるまで、偉い人の声を神聖なものとあがめていたらしいという。
これと、日本語が複雑になったのとの因果関係は、中国の漢字の起源の話と同類かもね。
 
神聖さを感じる心が発展の原動力になり、複雑さを生む。
 
そして、複雑なしゃべり言葉と中国の複雑な漢字が合体して、
とてつもなく複雑な日本語という言語が生まれてしまったわけだね。

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現代日本人が考える神聖なものとは。
ふだんべつだん宗教活動なんて何もしていないが、
 
「大晦日」って、なんか神聖な感じ。
「桜の花」・・・感じないことも無い。生命の不思議というか。
山奥に旅行に言った先の山奥の大きな山とかも神聖な感じがする。
スキー場も。
雷とか、地震とか、台風とか、そういう自然災害とかも。
あんまり仏像や銅像に神聖さは感じないなぁ。
 
そうやって考えると、やっぱり自然崇拝な人なんかな俺は。
 
留学生とか来るけど、彼らはきっとこの辺の感覚が根本的に違うんだろうな。
 
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電子回路の仕事をしていると、理屈では解っていても、
やっぱり電子部品にある種の「神聖さ」みたいなものを感じる部分がある。
真空管とか、いかにも「神聖な」感じがする部品だな。
 
とてつもなく複雑な電子回路の文化が現在発展中な現代だが、
これって、その昔、文字を神聖なものと考えていた中国でとてつもなく複雑な漢字文化が発展したのと同じことで、
人間が持っている「発展の原動力」というものは、今も昔も、けっこう似たようなものなのかもしれないなと。