chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

クリエイターの権利って

ニコニコ動画、投稿動画の権利保護についての取り組みを開始」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071001_nicovideo_rights/

著作権云々の話題の時、常々、なんだか変だよなと思っていることがある。
これはエンジニアとして仕事をしている人は皆大なり小なり感じているんじゃないだろうか。
 
例えば設計の仕事。それはある時は、設計者やデザイナーが全身全霊をかけてつくりあげた「作品」と呼ぶにふさわしい物である場合がある。いわゆる「ヒット商品」にはその類のものが多いと思っている。そういうものかつくりだせる人たちを「クリエイター」と呼んでも何ら違和感は無いと思う。
しかし、今の日本では、会社組織の中でサラリーマンとして活動する人の「著作者」「クリエイター」としての権利は、毎月の安定した収入を保障する契約と引き換えに完全に剝脱されるのが当たり前。そこでその人がうつ病にでもなって会社を辞めてしまえばそれで最後、その会社に残ったその人の作品が何億円の利益を会社にもたらそうとも、その人本人には1円も入らなくなる仕組みになっている。これはひどいと思うのだが、悲しいかなそれが今の日本の当たり前なのである。
嫌なら会社を辞めなければ良いという方法があるけども、ちょっとまってほしい。それがベストの選択肢ではないケースというのは多々あるだろう?。それ以外の解決方法が用意されていない今の日本社会は、もっと進化することができるはずだ。
 
悪い例は電気製品の取扱い説明書。これは大半をサラリーマンが書く。書いた人の著作権なんて完全無視である。その結果、何のアイデアも情熱もない、やる気のない取扱い説明書、だれも読まない取扱い説明書が生産され続けることになっている。なんという無駄。なんという経済的損失。これは取扱い説明書だけではなく、本体の機器の方にも言えることで、惰性で設計されるひどい製品も多いことは確か。著作権について騒ぐ人には、ぜひこのあたりのことも踏まえてほしいと願う訳である。
 
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権利云々の話についてよくよく考えてみると、つまるところ、それはクリエイターの権利ではなく、資本家の権利について騒がれているケースがほとんどじゃないか。つまり「資本家 vs 労働者」のバトルと核心は同質なんじゃないかと思える。そうじゃないと、サラリーマンが業務で書いた書物の著作権なんて話題にすらならないという状況を説明できない。
 
いわゆる「違法コピー」でアーティスト本人が苦情を申し立てる例というのはあまり聞かない。それは自分の周りに優れた才能がありながら売れていないミュージシャン、とかが山ほど居ることを知っているからというのもあるだろうし、まぁ、お金のことでもめごとを起こすより、貧乏でも貧乏なりに楽しくやっていける人種でなければクリエイティブな仕事なんてできないだろうとも思う訳。
 
例を挙げればきりがないほどで、考えれば考えるほど、著作権云々のもめ事というのは、諸々のビジネスに投資する資本家の権利主張の問題であり、労働者たる多くの一般市民の要望と対立するのは当然だし、解決策を探るとすればむしろ「会社」対「会社」の問題として片付けられる問題はかなり多いような気がしてきた。音楽業界がパソコンを違法コピーの温床として「個人を」やり玉にあげるのは、日本社会の権利構造の実態からすれば実は筋違いな話であって、つまるところ「音楽業界」の資本家と、「パソコン業界」の資本家どうしの間のコミュニケーション不足ということに尽きるんじゃないか。両者が歩み寄って「日本の職人」に投資すればもっと面白いことができるはずだ。
 
そういう視点で改めて最近のニュースを見直すと、ちょっと古いが次のニュースなんかは注目。
Yahoo!JAPAN、動画共有サイト著作権料をJASRACに支払うことで合意」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070724_yahoo_jasrac/