chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

高度に合理化した社会システムは子供を排除する?

 
昔、SFぽいアニメなんかで、高度に発達したコンピュータや人工知能が反乱を起こして、人間を殺したり奴隷にしたりする、みたいなストーリーが、ある種のSFストーリーの定石みたいになってたイメージがあるんだが、
 
最近の少子化問題って、実質的にはこのストーリーと同じことが起こっているんじゃないか?ということをふと思った。
 
高度に合理化が進んだシステムの中では、一番非合理な存在が実は「人間自身」だというブーメラン現象が起こる。仕事は遅いし、間違えるし、愚痴は垂れるし逆ギレするし。
そこで人間を排除したシステムの構築が進む。人為的なミスを無くすための自動化とかいうやつだ。あるいは徹底的なマニュアル化で個性や無駄を排除する。
 
ところでそこに、「合理的な子供の育て方」なんてあるんだろうか。「徹底的に省力化した子育て」とか。「子育てのカイゼン活動」とか。「子育てのタクトUP競争」とかさ。
 
「子育て」というのは、こういう合理化一辺倒の枠組みの中には収めようが無いよな。
 
しかしそのせいで、子供の存在、子育ての時間というのが、合理化一辺倒の経済・社会システムからつまはじきにされ、非合理な存在として衰退させられている。それが現代日本少子化だとしたら。
 
SFの世界の「スーパーコンピュータの人工知能の反乱」とかの劇的な展開ではないが、劇的でないがゆえに、知らない間に現実の社会生活のすみずみにまでそういう思考が忍び込んで、なんだかおかしなことになっている。
 
子供の存在を肯定的に定義できない合理化って、なんか変。どっか間違ってる。
 
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http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610#1213114352