chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

限界集落

 
「限界」使わず「いきいき集落」 宮崎県が新呼称決定
http://www.asahi.com/national/update/1102/SEB200811010016.html
 
逝き逝き集落ですね、わかります。
というボケは置いておいて。
 
限界集落の問題は、そこに住んでる住民だけの力ではどうにもならないだろう。
都市部との格差が広がっていく理由は、都市部の企業が日々いろいろなカイゼン活動で少しづつ業務を合理化・効率化しているのに対して、合理化の進まない田舎の旧態依然な産業構造にある。それが数十年続いてしまった結果、両者の間で埋めがたい格差が開いてしまっているのだ。
 
合理化というキーワードで括ってみると、この枠からはみ出してしまう物がまだある。少子化問題だ。少子化問題限界集落問題も、「合理化」の枠からはみ出てしまう存在だという共通項がある。
 
じゃあどうするのか。限界集落や子育てをもっと合理化すれば良いのか。あるいは合理化一本やりの価値観をみんなで改めるという方法もある。スローライフとかいうやつだ。
 
スローライフの実践が難しい理由には、世界経済というものを意識しながらビジネスをしていく時代になったというご時世が挙げられる。スローライフでは、世界経済の生き残り競争に勝てそうな気がしない。それは食料や工業原料を輸入に依存する日本という国が危機的な状況に陥ることを意味する。そしてここにも共通項がある。限界集落も子育ても、世界経済といういう枠組みに何ら積極的に寄与していないということだ。
 
世界経済を視野に入れて限界集落対策を考えるなら、いくつか方策がありそうだ。例えば発展途上国の農村部から日本の農村部への移民を希望する人を募れば、それなりに集まるかもしれない。でもそれを拒否するのは限界集落自身だ。限界集落は世界経済のことなんか考えずに現在まで来てしまったし、この先も考えたくないのだ。ここに矛盾がある。
 
合理化が避けて通れない道なら、似たものどおし、少子化問題限界集落問題をセットで考えるというのはちょっといいアイデアに見える。子供を一時的に農村で生活させるとかいうやつか。今は細々とNPOかなんかがやってるけど、こういうのをもし国家プロジェクトとして大規模にやったら、なんかちょっと違う未来が描けるかもね。