chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

バザール方式の行き着く先は?

 
事実と意味と価値、とか、その辺の考え事続き。
 
合理化されすぎたものというのは、時代の変遷についてずに、淘汰されてしまったりする。時代の変化を率先するのが、必ずしも大企業のエリートや中央省庁の官僚であるとは限らない。
 
伽藍とバザールの話で、歴史的に伽藍方式の前に何があったかといえば、職人的な、家内制手工業みたいなものだったろう。これの良いところは、賃金を拠り所とした人間関係ではないということ。家族的なつながりの中でのマッシュアップというものがあっただろうと思われる。ただし、大規模化するには物理的な限界があった。そこに経済学とか資本とか科学とかの英知を総動員して作られたのが現代社会、株式会社とか、いわゆる「伽藍とバザール」で言われるところの伽藍方式。これはとても効率が良いのだけれど、一方では組織の中での人間的なつながりというものが、時代を経るごとにどんどん希薄なものになってきた。家族的な暖かさを持った会社というのもあるだろうけれど、だんだんそういう話は聞かれなくなりつつある。もっともこれは会社だけの問題ではなく、家族という単位も核家族という小さなものになっていき、今はそこからさらに細分されて一生独身という人が増えるフェーズ。 ここまでくると、これはもう逆に、いろんな意味で非効率だ。
 
伽藍方式とバザール方式の2つだけの特徴を比較してみると、いろいろと対照的な特徴がある。ここに、もう一つの軸、伽藍以前の、家族とか、家内制手工業とかの伝統的な文化という軸を持ってくると、またちょっと違った側面が見えてくる。
 
規模:家族方式<伽藍方式<バザール方式
人間関係の濃密さ:家族方式>伽藍方式>バザール方式
お金の重要性:家族方式<伽藍方式>バザール方式
 
ある側面では、一定の方向性を持って進化している話のようにも見える。ただし、お金だけが何よりも重要視された時代は過ぎつつあるのかもしれない。というかそうであってほしい(願望)。
 
ではこれが、この先もこのままの方向性で突き進んでいったなら、その先にあるものはいったい何だろう?
案外、原点であるところのの家族的なものに戻ってきてしまったりするのじゃないのかな、という気がしないでもない。
 
 
参考
伽藍とバザール 日本語訳版
http://cruel.org/freeware/cathedral.html 

「「大量複製業者」の時代から「ニコ動的流通」の時代へ」 --- ものくろーむな日常
http://d.hatena.ne.jp/cosmovita/20090410#1239344786
 
そういえば、コミケみたいな同人誌の流通も、バザール方式に通じるものがありますね。