chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

生と死のバランス

 
きっかけは、「なんで安楽死は合法化されないんだろう?」という話から。
独居老人の孤独死の問題はまったく他人事ではなくて、身近なところでも、自分の両親は離婚した後、それぞれ独居老人状態だし、自分だっておそらくこのまま年を取れば独居老人になる。
人が死ぬときというのは基本、周りの都合なんか関係ないので、葬式をあげるために大勢の人が会社を急に休んで駆けつけることになる。幸い、会社のなかでそういう不幸があったときに会社を休むことで咎められるなんていうことはないのが救いだが、しかしそこでかなりの経済的損失が生じていることは間違いない。
人道的に云々、という話をとりあえず抜きにして、経済的合理性についてだけ言うならば、本人の希望に合わせて計画的に安楽死するような仕組みが、もし有ったなら、その方が経済的には合理的である。葬儀の前準備ができるとか、予め仕事の都合を付けて関係各位が葬儀に集まれるように日程を調整しておくとか、いわゆる「ムリ・ムラ・ムダ」を減らすのに役立つことは間違いない。
 
でも、そんなことは行われない。なぜか。そもそも、何のための経済なのか、という話だよね。人が生きていくための道具として、経済という仕組みは存在しているはず。なので、経済性を優先して安楽死する、なんていう話は本末転倒も甚だしい。「健康のためなら死んでもいい」に匹敵する笑い話だ。変わるべきは、経済の方だと。経済の方が、人生に合わせるべきだと。
 
しかしだ。ここでふと思ったのだ。
 
「お金がないなら子供は作らないほうがいい」とか「お金がないから子供が作れない」っていう話、さらに直接的な例では「経済的な理由で人工中絶する」なんていう、かわいそうな話、これってどうなのよ、と。
 
「経済的な理由で、安楽死を選んではいけません。」
という話は、何が何でも守り通すくせに、
「経済的な理由で、子供を生むのをあきらめました。」
という話は、そこらじゅうにゴロゴロしている。
 
これはおかしいだろ。老人の命もこれから生まれてくる子供の命も同じはずだろ。経済的理由で死ぬのが間違ってるなら、経済的理由で生まない、というのも間違ってるだろ。現状は子供の命が軽んじられすぎだろ。そりゃ少子化にもなるだろ。
 
老人が寿命まで生きることを経済的に支えるための仕組みとして、「年金」というものがある。詳しくはないんだが、もっとも基本的な国民年金の場合、ざっくり、70歳から毎月6〜7万円程度以上を支給するという仕組みが実現している。平均寿命の約85歳ぐらいまで生きたなら、平均するとざっくり15年間ぐらいの支給ということになる。この、平均すると15年ぐらい、っていうところに、ちょっとピンと来た。
 
もし、年金のような形で子供を支援する制度、例えば「生まれてから15歳になるまで、子供1人あたり毎月7万円支給しますよ」というような制度があれば、「経済的な理由で子供を生むのをあきらめる」というような話は、かなり解消されるんじゃないか。「子供年金」とでも名付けようか。子供3人居れば毎月21万円ですよ。余裕で専業主婦でも専業主夫でもできるでしょ。子供が15歳過ぎて手がかからなくなれば、また仕事することを考えればいい。
 
子供3人で毎月21万円なんて恵まれすぎ?そうだよなー。ありえないよなー。でも、それに相当する金額を、この先、年老いて死んで行くだけの老人が、普通にもらってるんだぜ? どっちが有効なお金の使い方か・・・って言うとまた問題発言だけど、子供が少なすぎて年金制度が崩壊するかも、って言っているときに、もうちょっと考えないといけない事だと思ったんだぜ。