chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

大人の「ゴッコ遊び」

 
私はかなりコミケが好きだけれども、正直なところ「同人誌」にそれほど強い思い入れがあるわけじゃない。
C75,C76に行ってみて、コミケの何が好きになったかということを色々考えてみるに、やっぱり一番は、みんなが自由に「ゴッコ遊び」をしている感じが好きなんだな。「ゴッコ遊び」なんていうと、「俺は遊びで同人誌書いてるんじゃねぇ」みたいな人に怒られそうなんですが、まぁまぁ、楽しみ方は人それぞれですから。
 
何が「ゴッコ遊び」に感じるかというと、
・同人誌の売り方。売っている人。
 同人誌の作者さんだったり、その友人だったり、つまり大多数において、店員として本を売ることが本業ではない人が、1日だけコミケのサークルのスペースで店員をやっている。プロに教えを請うわけでもなく(教えを請う人も居るでしょうが)、見よう見まねで、「こんな感じだよね?」の積み重ねで成立しちゃってる感じ。これをゴッコ遊びと云わずしてなんという。値付けもアバウト。収支も「この事業に失敗したら家が担保で取られる」とかそんな悲壮感を背負って商売している訳じゃない。プロの商売人の目から見れば、「お店やさんゴッコ」だ。でも、だからこそ、同人誌ショップには無い魅力がある。
 
コミケで扱われるプロダクツ。
 やっぱりどこか、「漫画家ゴッコ」な部分が楽しいんだと思う。断じて「売れない三流漫画家の吹きだまり」ではない。小物やグッズを販売してるサークルさんも「○○屋さんゴッコ」な感じが楽しい。
 
・コスプレ。
 これは説明不要。まんま「ゴッコ遊び」。
 
 
最近よく行くメイドカフェにも、同じように「メイドゴッコ」な感じがあって、その「ゆるさ」が今の自分には魅力に見える。メイドカフェでバイトしている女の子達は、けしてプロのメイドになろうとしている訳ではない(笑)。見よう見まねで、「こんな感じだよね?」の積み重ねで成立しちゃってる。いつまで経ってもどこか素人っぽい。何か失敗しちゃっても、それはそれで「ドジっ子キャラ」ってことで、客もスタッフも許してもらえる。もっとも、衛生上の事とかでは、ゴッコ遊びでは困る部分もありますが。
 
 
で、何で俺は今さら、こんな年になって、そんな子供みたいな「ゴッコ遊び」に心惹かれちゃうのさ?
 
 
思えば、今までの俺が頑張ってきたことって、物事を深刻に捉えすぎて、あまりにも余裕なく生きてきちゃったかな、という気がする。失敗したことを悲観しすぎたり、恐れすぎたり。ゴッコ遊びなら、失敗したら失敗したで、それも楽しいよね、と思えるのにね。
 
 
「ゴッコ遊び」なら、「打つだし脳orz.」みたいに凹むこともない。
 
 
どっちが正しいのか、よく解らなくなってきた。今までは、何か物事を真面目に深刻に考えるのが正しい生き方だ、大人の生き方だ、みたいに思ってた部分があって、・・・実際、そういう人たちのおかげで世の中が成り立っているんだろうな、というところまでは疑うことができないのだけど・・・、しかし、自分にふさわしい、自分相応の、「生きる態度」みたいのは、ちょっと改めてみてもいいのかな、と思い始めたところ。
 
 
 
いいじゃんか、人生すべてが「人生ゴッコ遊び」だったとしても。
みんな、見よう見まねで生きてるんじゃんか。たった一回の人生で、人生のプロになれない奴だって居るよ。
 
 
 
じゃぁ今、本業の仕事の方を、「ゴッコ遊び」的な視点で見つめなおしてみたら、どう見えるか。
なんか、つまらないアソビをしてるよな。
それで誰が喜ぶという訳でもないのにさ。orz.
 
 
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そういえば、ニコニコ動画も、最初はもっと、「ゴッコ遊び」な空気があったと思うんだが、黒字化担当うんたらかんたらって人が幅を利かせ始めてから、どうも「ゴッコ遊び」な空気が薄れてきちゃった。そりゃ常識的には、何百万人もユーザー抱えて莫大な借金抱えてゴッコ遊びじゃ困るぜ、っていう人が居るのは解るんだけどさ。そのせいで魅力が薄れてしまったら、本末転倒だよね。そんな常識クソ喰らえって言ってほしい所。
 
参考 今日読んだブログ
物事を深刻にしすぎる人達 --- 切込隊長BLOG
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/10/post-08f2.html
 
 
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(10/28追記)
!!!
http://twitter.com/kawango/status/5221073703