chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

労働生産性の改善だけで経済がうまく回らない理由

 
ネタ元:
賃金を上げる最善の方法 --- 池田信夫blog part2
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51314911.html
 
[政治][経済][考察]労働生産性は大事ではあるが --- WATERMANの外部記憶
http://d.hatena.ne.jp/WATERMAN/20091119/1258634731

これを読んで「なるほど!労働生産性を高めなければならないのだな」と思った人は池田センセイに騙されてます。

 
過去50年間に、アメリカの時給が3倍になり、生産性も3倍になったということは、即ち消費も3倍になったということである。消費が3倍になったから、稼いだ3倍の給料は綺麗に消費に回ることになり、経済がうまく回る。めでたしめでたし。
 
では、人類は、この先も永久に、労働生産性を上げ続け、給料を上げ続け、消費を拡大し続ければ良いのだろうか?
 
・・・そんな訳ねぇだろ。アホか。
 
人は時間も体力も有限なのだから、無限の消費をすることはできない。どこかで、消費量は成長を止める。消費量の成長が止まっているのに生産性を上げたら、余剰在庫が貯まるだけなので、そんなことは止めて生産量も停滞状態にならざるをえない。つまり労働生産性も給料も消費量も、どこかにちょうど良いバランス点というのがあり、そこに到達したらそこで成長は止まって然るべきだ。
 
労働生産性が上がったかのように見せかけるために、大量生産&大量消費を奨励するなんて、本末転倒もいいところだ。いくら労働生産性が上がったって、一方で大量の廃棄物が出ていたのでは、社会は豊かにならない。こういうことを語らないところに、経済学者の胡散臭さを感じてしまう。
 
日本の各個人の家の中は既に物であふれ、何を捨てるかが悩みの種という状態。そんな状況で労働生産性を上げ続けたら、勝ち組が生き残る一方で競争に負けた会社の倒産や失業者が増えるので、社会全体としては、望ましい方向に進歩しているとは言えない状態になる。
 
では、労働生産性至上主義が時代にそぐわないものとなったら、その次に我々は何を目標とすべきだろうか?
 
とりあえず思いつくのはエネルギー効率の改善ではないかと思われる。身の回りがモノで溢れる時代になっても、食費と光熱費はけしてゼロにはならない。食費も光熱費も広義にはエネルギーだ。今までは石油が安価な割には食費が高かったから、食費を必要とする労働者のコストが問題になり、労働生産性を上げることが重視され、一方の石油はじゃぶじゃぶ使われてきたわけだ。しかし、これが将来、石油が枯渇して高騰するような時代が来たら、事態は一変するだろう。労働生産性が低くても、エネルギー消費が少ない生産・消費スタイルの方がコスト的に有利になるためだ。労働生産性よりも省エネである事の方が求められる時代は、もうかなり近くまで来ているかもしれない。価格より省エネが重視される家電製品や自動車はその先駆けなのだろう。また、食料もエネルギーの1つだと考えれば、「労働生産性至上主義」は「エネルギー効率至上主義」の中の一部分にすぎず、その大枠から外れることはできないと考えられる。