chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

秋葉原の歴史

今でこそ、「オタクの聖地」みたいに言われる秋葉原なんですが、1989年まで「神田青果市場」が秋葉原駅前にあったという事にまつわる情報って、インターネット上には驚くほど少ないんですよね。
 
神田青果市場」のルーツは、もともと江戸時代の神田多町という場所に有った市場らしい・・・というような話まではググるとすぐ出てきます。
http://www.nishihei.com/02-01ichiba.html
 
wikipediaによると1935年に秋葉原駅前に「神田青果市場」が出来ている。秋葉原に電気街が形成される前は、秋葉原は青果市場の駅だったみたいなんですね。しかも、秋葉原にあるのに、秋葉原青果市場じゃなくて「神田青果市場」という名前だった。江戸時代から神田付近にあった神田市場の歴史を引き継ぐ意味があったんでしょう。また、1935年には既に鉄道が秋葉原を東西南北に走っており(現在の東北本線総武線)、鉄道が物流の中心だった時代には特に重要な交通の要所だったと思われるのです。そういう一等地の駅前に作られたということも、当時の「神田青果市場」の重要性を裏付ける話と考えてよいのではないでしょうか。
 
wkikipedia 秋葉原 から引用・抜粋

1935年 : 神田青果市場が設置される。
1945年の第二次世界大戦後 : 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
1960年代 : 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋でんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
1970年代 : 現在の中央通の街並みの原型がほぼ完成。
1989年 : 神田青果市場大田区へ移転(大田市場)。跡地は駅前広場・駐車場となる。
1990年代 : 郊外型やカメラ系の家電量販店の台頭で家電売り上げが減少。

追記:写真発見!これ、場所的には神田じゃなくて秋葉原なんですよ。今の秋葉原UDXがある場所。1990年代は空き地だった場所。

 
私は上京したのが1989年だったので、ぎりぎり神田青果市場にトラックが出入していた時代を知っているんだけど、ちょうどその頃大田市場に移転して、すぐ空地になっちゃいました。

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/51984165.html
このスレから写真拝借

 
私の実家は農家なもんで、今75歳ぐらいの親父の話を聞いていると、神田青果市場っていうのは、昔の農家にとってはすごく特別な、今で言うところの「聖地」みたいな場所だったようなんですよね。名前もそれっぽいでしょ。「神田」。「神」の「田」ですよ。築地市場が漁業や海産物を扱う人達の聖地であるのと同じように、神田市場は農業・農産物に関わる人達にとっての聖地だったのです。
 
それがまぁ、物流がトラック中心の時代になると、まとまった駐車場を持たない神田青果市場は渋滞や混雑でどうしようもなくなってしまい、バブル期に大田市場に移転。ここでもって江戸時代から続いていた神田市場の歴史が途絶えてしまって、あろうことかオタクの聖地になってしまったという。江戸時代から続く築地市場とは、えらい違いですよね。
 
神田青果市場のすぐ横に電気街が発達した経緯について、wikipediaでは電機学校(現在の東京電機大学)との関連しか書かれてないんですけど、戦前から神田青果市場秋葉原に有ったことと、電気街の成長とには関係があったはず。今でこそ農産物の運搬は専門の運送業者がやるのが普通ですけど、1960年代〜1970年代は、農協単位でトラックを買ったりチャーターしたりして、農家が運送までやるのが普通だった。なので、こういうことが起こっていたと思われるんです。
 
(1)神田青果市場に、農家がトラックで農産物を運んでくる。
(2)農産物を市場におろす。トラックは農産物を下ろすと空になる。
(3)農家は農産物を売った現金収入を得る。(青果市場というのは、即日現金決済なのだ!)お金が貯まれば、東京で白物家電(TV、洗濯機、冷蔵庫など)を購入してトラックに積んで帰るようになる。しかし農家は都内を車で走り回ったりしたがらないので、電気屋の方が神田市場の近くに店を開くようになる。
(4)やがて農産物を下ろして空になったトラックの帰りの便に、家電製品などを載せて田舎へ輸送する流通ルートが出来る。
(5)神田青果市場の近くに、田舎に向けて家電製品を出荷するための電気屋街が発達する。
 
神田市場を江戸時代から続く聖地のように思っていた農家にとっては、大田市場の方が便利だから大田市場に移転しましょう、という話を聞いて、理屈ではそっちの方が良いと解っても、気持ちはなかなかついて行かなかったんじゃないかなぁ。例えて言うなら高校野球甲子園球場から大阪ドーム球場に移転しましょう、みたいな話ですからね。目に見える数字としては、交通の便が良くて広い大田市場の方があらゆる面で優っているようには見えるんですけど、「神田市場」という聖地を失ったことが、日本の農業にどういう影を落としたか、ということも、検証してみる必要があるんじゃないかと思うんですよね。忘れ去られてしまわないうちに。
 
関連:
タモリが歩いた秋葉原 --- はてなテレビの土踏まず
http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20091120/p1

居酒屋の主人「秋葉原は今電気街だけどもともとはヤッチャ場(青果市場)だった」

ちらっとだけ出てきましたね。
 
追記。