chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

お金2.0で思考実験続き

この話の続き。
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20100326/1269608063
 
・もし、国内に複数の通貨があったら。
たとえば都道府県毎に通貨が違っていて、県堺を越える度に両替が必要で、その為替レートが日々変化したりしたら。・・・なんてやってたら、どんだけ経済にマイナスに働くか。考えるまでもないね。
てことは、たぶん、グローバルな視点でも、超長期的には通貨は統合されていく方向なんだろう。EUが実際にそうしたし、そのうちアジアでも、そういう動きが起こったとしても不思議じゃない。何百年か後には、世界統一通貨っていうのが出来ているかもしれない。為替レートが完全に安定化するほど世界経済が均衡化すれば可能だね。
 
現状では、お金の成り立ちというのは、国の成り立ちと非常に深い関係がある。国の力=その国の通貨の力、みたいなところがある。だから、お金のあり方を変えるということは、国のあり方を変えることにつながるわけで、だから普通の日本人は誰も論じないわけだな。
理屈では、中央銀行は政府とは別の、独立した立場で物事を判断出来る、というのが先進国の中央銀行なのだから、各国の中央銀行どうしで協議して、政府と関係なく国境を越えた統一通貨を発行して合理化する、という話があってもよさそうなものなんだけど、実際には、政府の関与なくそんなことは出来ない。つまり、中央銀行の独立性なんて、現状はただの建前のようにも見える。
 
・もし、お金に金額以外の属性が付いて回ったら。
ちょっと古いニュースからの引用ですが、たぶん現状もホリエモンは同じことを考えていると思うので。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/03/news036_4.html

私がお金の話をたくさんしたのは、お金というのは色がない、つまり差別を克服するものであるということ、そしてお金は非常に大事なものであると(伝えたかった)、お金は実際に大事なもの、避けて通れないものなので、そういったことを僕は皆さんに知ってもらいたかったのです。

 
お金が電子データになると、そこに金額以外のデータを抱き合わせることが簡単にできるようになる。つまり、やろうと思えば、1万円で買い物をする時に、お店の人にそのお金をどういう経緯で稼いだのか、アピールすることも可能になる。1日肉体労働した人が食堂で飯を食べる時に、「じゃぁちょっと大盛りにしときますね」という話も有りえる。「株の売買で稼いだあぶく銭なんかじゃ、この品は売れねぇよ」という話も有りえる。泥棒だってバレバレ。「あれ、なんであの人のお金を、全然関係ないこの人が持ってんの?」ってことになっちゃう。
 
で、それって悪いことなのかい? 「お金というのは色がない」というのは、「マネーロンダリングをする人が使う言葉」=「汚いお金を使っている人が使う言葉だ」っていうことを指摘する人も居る。真っ当に働いて得たお金を真っ当に使うのに、何も隠し立てする必要は無いわけで、その情報が全部、お金データと抱合せで付いて回ったとしても、普通の庶民にとっては困ることは何も無いはずなんだ。
で、もしそういう事をして、誰が一番困るのかって、要は政治家や警察なわけでしょw。裏金が全部バレちゃうからw。だからこんな制度を国家的に運用するなんてありえないわけ。まさにブラック国家。寂しいねー。
 
・テストできるお金
ソフトウエアの話で「テスト出来ないコードはレガシーなコード」っていう話がヒント。
レガシーコード改善ガイド読書会 --- 未来のいつか/hyoshiokの日記
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20100403#p1
ソフトに関係ない話に引用してすみません。
これをお金に置き換えて、「テスト出来ないお金はレガシーなお金」は意味として通じるか?
お金をテストするってどういうことだ? お金に絶対の信頼があるなら、お金をテストする必要など無い。しかし、そもそもこの世に「絶対なもの」など無いだろ?という次元で話をするなら、お金をテストする必要が無いわけはない。じゃぁ、「お金をテストする」ってどういうことだ???
こう考えると、お金というのはますます訳の解らないものに見えてくる。お金というのは、「皆がその価値を信用していると言うこと、それ自体が価値」という代物なのだ。だから「世界中の誰もが円を全く信用しなくなってしまった」という場面を想定して、それでも円が何らかの価値を持って行き残ることができるかどうかをテストする、という話なら、その結果は0点であることが自明なのだ。
まさに「現代のお金はテスト出来ないお金」であり、レガシーな存在なのだな。
 
じゃぁテストに耐えうるお金とは何か。えー・・・金貨とか?むしろ現代のお金よりレガシーなイメージなんだが。それはダメ。
 
お金に、お金以外のデータが抱合せになっていたら? 例えば「この1万円は○○さんが1日肉体労働をして得たお金です」というデータが付いていたら、額面の1万円という数字の価値が超インフレで失われてもなお、そこに付いている「このお金は1日肉体労働をした報酬である」という事実は価値を失わないだろう。その事実に、報いてあげようという人が居る限りは、額面の価値とは関係なく労働の価値が保たれるわけだ。・・・そうあるべきなんじゃないかという気がしてきた。
 
今日のまとめ:
「お金2.0」は、額面以外に色々な付加情報がオープンな状態でくっついたまま流通するお金・・・かもしれない。
 
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追記。もう一歩話を進めて、お金に色々な付加情報が付いて回るのが当たり前の時代になったと仮定して。
必ずしもお金の額面に関係なく、「何か人の役に立つことをした」という事実自体が、それなりの価値を持って、お金のように流通するような世界になったならば、たとえばニコ動で人気の動画をUPした作者さんは、「ニコ動で人気の動画をUPした」という事実でもって、それなりの買い物ができるようになるということだ。そのお金に書かれた額面は0円でも構わない。価値創造ってそういうことなんじゃないの。
 
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追記その2 4/14
「日本国債がデフォルトした場合の危機管理について」という田村先生の質問について --- 本石町日記
http://hongokucho.exblog.jp/13148465/
おもしろいw。あぁやっぱりそういう考え方するんだと思って勉強になった。
いざとなったら食糧確保が最優先課題だとか、禿げ上がるほど同意って感じ。(まぁネタだけど