chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

PICSYの説明を読んでみた。

PICSY
http://www.picsy.org/

PICSYでは、企業体ばかりでなく、全ての人間が再生産を行っており、全ての商品が、再生産的側面を有しているとみなします。したがって、PICSY では、全ての取引を投資とみなします。

全ての取引が投資になることによって、人々は、自分が売っている商品やサービスが、ちゃんと後々まで世の中の役に立っていくのだろうか、ということを真剣に考えるようになります。

このコンセプトはとても良いと思う。2005年から更新が止まっているのはとても残念。
 
ざっと説明を読んだところでは、引き合いに出している事例が、あまりよろしくないね。やぶ医者に薬漬けにされてなかなか元気にならない患者、っていうのが例の一つに出ているんだけど、これは実際の医療従事者に言わせれば憤慨ものだろう。一応現状では、医薬分業を徹底する、という方法で、ここで言われているような弊害を無くす努力は、既に十分浸透していると言える。(薬局増えすぎという弊害はあるが)。一部には病院内で薬の処方までやる所もあるけれども、そういう嫌疑をかけられないよう、かなり慎重にやっている所がほとんどなんじゃないだろうか。 
確かにニュースになった事例を見たことはある。ソースを引用しないとまずそうだけど、記憶にあるのは精神病院の患者にムダな医療を繰り返した医者が捕まった事例と、本当に病院が潰れそうで、やむにやまれずそういう行為に走ってしまった医者の事例。
 
で、現実に生じたそういう事例を見て、そこにPICSYの理念が有効に機能するか?と考えると、どうもそんなに話は単純ではないように見えるのだ。
精神病院の事例でいうと、まず精神病院には、治る見込みが無く幽閉されているような患者が非常に沢山いるという問題がまず有るわけだ。それを悪用した医師は糾弾されて然るべきだが、これをPICSYの理念で判断したところで、そんな医療は全部やめちまえ、という話にしかならないだろう。投資効果など見込めないのだから。これは色々と難しい問題が絡まっているので、経済的な合理性だけで云々言えない問題である。
もう一つの方、本当に潰れそうな病院が、ムダな医療で医療報酬を稼いでいた場合。これもなかなか微妙。なぜなら、それをせずに病院が潰れてしまったならは、潰れた後の周辺住民は大変困ったことになるだろうから。元気になった元患者からのリターンがあっても、病院が潰れたあとでは後の祭りなのだ。病院が潰れそうになる原因の一つは、経営感覚に乏しい医者がうっかり高額な医療設備を導入してしまった、みたいなことだったりする訳だけれども、これだって医者にしてみれば、患者によりよい医療を受けさせようという善意で始めたことだったかもしれない訳だ。 そりゃ理屈では、だからといってムダな医療が容認される訳ではないけれども、もっと根本的なところで、善意の積み重ねだったはずがなんだかおかしなことになって、悲劇になってしまった、みたいな話というのは、世の中にはごろごろしてる訳じゃん。それを全部「経済的な合理性」だけで判断すべきなのかというと、なかなかそんな単純なもんじゃないというのが現実なんじゃないのかな。
 
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お金2.0のアイデアPICSYとの共通点は、「お金のあり方自体を問い直して、改善していくことで、世の中をもっと良く出来るんじゃないか」という所。ただし、その中身はちょっと違う。
 
お金2.0は、その名前の通り現状のお金を改良しようと言う考え方。なんで「改良」なのかというと、1次産業、2次産業に於いては、現状のお金のしくみでも十分うまく回っていると思うから。改良だから、従来のお金と全く同じように使うこともできる。2.0で付加された仕様というのは、使いたい人だけが使ったのでかまわない。
 
PICSYには、より経済を合理的なものにしてムダを省いていこうという意図があるものと思われ、それはそれで正しいと思うのだけど、、私は「ムダを省くことで皆が幸せになる」などということは無いだろう、とも思っている。どちらかといえば、今の貨幣経済には、ムダが無さすぎる事の方が実は問題なんじゃないかというのが私の考えで、だからお金にムダなデータを抱き合わせてみたらどうなるんだろう・・・なんていうことをあれこれ考える訳。
お金のしくみ自体に豊かさが無ければ、お金で豊かさを得ることにも限界があるんじゃないだろうか。ムダの無いお金の仕組みによって、ムダの無い生活を送ることができるのかもしれないけど、それは豊かさとは違うんじゃないか。だから、本質的な部分での方向性は、お金2.0とPICSYでは180度逆なのかもしれないね。