chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

無縁社会の件

 
NHKの番組は見てないんだが、話題になっているのでメモっとく。
 
無縁社会に「生放送」でつながる若者たち
http://getnews.jp/archives/98677
広がる「無縁社会」で新たな動き 「ネット縁」を築いていく人たち
http://news.nicovideo.jp/watch/nw30791
 
私も、数十年後には、孤独死予備軍ですえぇえぇ。結婚してないし、同居する人も居ないしね。
ネット上の繋がりが、それを救うかというと、どうなんだろうねぇ。リアルでそうなってしまった背景には、それなりの因果関係がある訳で、ネット上だからといって何か本質的に変わるとも思えず。
強いて言えば、「あぁ、自分と似たようなやつがたくさん居るんだな」という事が可視化される事で、気が楽になる部分はある。 正直、こういう特集があることも有り難いです。
 
自分に関して、「人並みな死に方をして、人並な葬式を挙げてもらおう」なんていう希望は、もう持てないもんなぁ。 
 
書きたいことはあるんだが、うまく纏まらないので、気が向いたらあとで書く

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と思ったら、信夫先生のエントリーが来てた。
無縁社会」キャンペーンの恥ずかしさ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51677145.html

個人主義にもとづく市民社会は快適ではないが、日本が自由経済システムをとった以上、後戻りは不可能である。政府の役割は縁を作り出すことではなく、個人の自立を支援する最低保障だ。未練がましい無縁社会キャンペーンは有害無益である。

この論自体はごもっともなのだけど、私のように無縁社会の真っ只中を生きている立場からすると、ポイントがズレてると思う。そもそもこの話は、老人の「孤独死」の問題が出発点でしょう。孤独死の特集番組も反響を呼びましたよね。で、老人の孤独死の問題を掘り下げていくと、そこに「無縁社会」と呼べるような社会状況が、全世代的に広がっていましたよと。
例の番組の中では直接的には触れられなかったかもしれないけど、当然ながらそこには、将来的にますます「孤独死」が増えることが予想されますよ、そんな社会でいいんですか?という問題提起も含まれていると思うんですよね。「人はどういう死に方をすべきなんだろう?」というのが隠されたテーマなのだとしたら、個人の自立支援云々という話は、あまり参考にならないですよね。
 
技術的には、対処療法的に孤独死を防ぐことは多分可能。いろんなセンサーやなんかを駆使して、死にそうになったら自動で病院に通報して救急車が来てくれる仕組みを作ればいいという話になる。お金がかかるけどね。
でも、これもなんか違うんじゃないかと思うよね。死ぬ時だけ看取ってもらえれば、あとは孤独でもいいのかっていう。もちろん好き好んでそういう人生を選ぶ人も居るでしょう。でも、当然ながら、そんな人ばかりではない。なんとなく、世の中に流されて生きてきたら、そういうことになっちゃった、というのだとしたら、それは御世辞にも幸福なことではない。「なんとなく、世の中に流されて生きてしまった結果」が、孤独死を迎える人達をたくさん生じさせてしまう、という社会構造になっているのだとしたら、そこにメスを入れてみることは無駄ではないでしょう。
 

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以下は私個人の話。
 
私を取り巻く環境が、なんとなく、いつの間にか、「無縁社会」というネーミングそのまんまな状況になってしまったことに関して、因果関係がありそうな事を1つ1つ振り返ってみる。
 
・親戚が居ない環境で育った
 私は親の都合で、近所に親戚が全く居ない環境で育った。たまに盆や正月に、じいちゃんばぁちゃんの所に帰省すると、親戚がたくさんいて、安心できるし居心地がいいんだよね。もし、そういう環境で小さい頃から育ってたら、私の人間性みたいなものにも、かなり影響があったはずだと思う。どっちが良かったかは解らないけど、親戚が全く居ない環境で、知らない人との人間関係の輪を広げるというのは、小さな子どもにとってはハードルの高い事だとイメージしてもらえると思う。
 
・地元を離れて進学&就職した事
 地元にはいい就職先が期待できないので、都内の学校に通って都内に就職した。ここで、もともと多くもない幼なじみの友人とも疎遠になってしまった。
 
・就職すると仕事漬け
 毎日深夜まで残業して、休日は最低限の雑用以外は寝てるような生活で、しかも地元を離れて1人ぐらしと来たら、プライベートな人間関係なんてそうそう出来るもんじゃない。こりゃ流石にヤバイかなと自覚して、趣味の集まりやなんかで週1ペースで飲み会に出るような事も何年かは続けていたが、「酒を飲まないと腹を割った話ができない人間関係というのも何だかナ」とか思い始めて、だんだん参加しなくなってしまった。また経済的にも、少しでも貯金しようと思えば、めいっぱい生活残業して、外食を控えて1人で家で自炊するのが合理的だ。
 
・転職
 新卒で入った会社だと、同期の連帯感というのが、ある程度あった。ただ私が新卒で入った会社は運悪く下り坂で、私は5年で転職した。今はその会社はもう無くなってしまったので、転職した事自体は失敗ではなかったと思っているが、・・・転職には転職の厳しさというのがまた有る訳で。今は正社員で定年まで働くつもりで居るが、まぁ、先のことは解からん。
 
・鬱 
 ここに至ってますます孤立。鶏が先なのか卵が先なのかは解らない。寛解したつもりだが、人付き合いはさらに悪くなった。薬で一度肝臓が悪くなったので、酒も控えめ。
 
・離婚
 私が悪うございました。ごめんなさい。
 
・両親が子供の世話になるまい、と考えていること
 私の両親は姑問題で非常に苦労した人達で(要するに祖母と母が非常に仲が悪かった)、子供に同じ目をあわせまいと考えている。もっとも、同居しようにも、色々と問題があるし、私が離婚しちゃったしな。
 
こうやって現在の自分の状況を紐解いてみると、1つ1つは随分ありきたりな話だよね? 
 

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無縁社会」で問題となるところの「縁」などという、訳の解らないものに経済的な価値など無いに等しい、と、もし考えるならば、「日々、あらゆる場面での経済的な合理性を徹底的に追求して行ったら、最終的には自然と孤独死に辿りつくんじゃないか?」っていう予感がしてきて、なんかちょっと背筋に寒い物を感じてしまう。
 
しかし、だからといって経済的な不合理を推奨するような事を言うと、経済学者は怒り出すのだろう。では、時代に逆行することなく、この問題の解決を試みるとすると、それはつまり経済学の枠組みの中に「縁」とか「死」とかいうテーマまで組み込め、という話になるんだろうか。
 
「縁」をお金で買えるかと言われれば、今までの価値観からすると、NOだろう。でも、そこを考え直さないといけないという時代になりつつあるんだろうか?
 

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2/15 さらに追記
参考
ぼくたちが望んだ無縁社会 --- 橘玲 公式サイト
http://www.tachibana-akira.com/2011/01/2034
この本は読んでないが、この人の見解のほうが私にはしっくりくる。

ここで述べられているのは、「自分らしく生きたい」という当たり前の願望が「絶望」を生み出す冷酷なメカニズムだ。無縁社会は社会の病理ではなく、私たちがみずから望んだグロテスクな「近代の完成形」なのだ。

で、それを踏まえて、あなたはこれからどうしますか、と。
 
なんか、まどかマギカのきゅうべぇを連想した。