chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

男女平等問題の話題

 
ネタ元:
「オヤジ層」の無自覚な女性差別を、黒人差別に置き換えてみる --- yuhka-unoの日記
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20130602/1370174370
 
オヤジ層な自分としては、理解できる部分と、もにょる部分とがあって、もにょる部分をうまく言語化できないのだが、言語化したとして、「これだからオヤジ層は」と言われてしまうのだろうなと思って、ちょっと悲しい。
 
 
 
一応、最近も、こんな事を考えた。
少子化問題と公共投資
http://chintaro3.hatenadiary.com/entry/20130508/1368019490
 

つまり、公共投資偏重の景気対策は、結果的に女性が男性にすがって生きていくしかない社会を助長する、という問題がある。これって酷くね?

この問題提起は、冒頭のエントリーで問題にされている部分にも繋がってくる話だと思っている。
 
 
 
こういう見方もある。
なんで昔の人は結婚できていたのか? --- 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-156b.html
 

全体的には権力を維持するように、権力に従属する人々をネズミ講のように産出するシステムが「お見合い」である。

 
これに対する自分の反応
昔の結婚の意味について
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20121031/1351688103

2つの生き方があるとする。
(1)結婚して、子供を授かり、権力者に従順に働く
(2)結婚せず、自由に生きる。
 
結婚しなければ、子供をつくる事が困難なので、放っておけば、結婚しない集団は死に絶える。放っておくだけで自滅するので、結婚しない派は権力者の脅威には成り得ない訳だ。

 
この社会構造には、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
 
 
 
しかし、角度を変えれば、また違った風景を見ることもできる。ちょっと趣旨が離れてくるが、全く無関係でもなかろう。
 
づるづる考えてたら、「愛」に辿り着いた
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20100416/1271414925

さんざんクドイが、「お金=公権力の断片」なのであれば、「お金でセックスする」、という事は、「権力でセックスする」というのと同じことだ、となる。で、それは権力の使い方として間違ってるぞ、と言っているわけだな。ベタな言い方をするなら、「セックスに必要なのは、権力じゃなくて愛でしょ」となる。ここで、「権力」と対立するものとして「愛」ってやつが出てきた訳だ。

「差別」の問題からは、ある種の、広い意味での「公権力」の存在が透けて見えてくるよね。権力には差別が付きもの、という事なのではなかろうか。なのに、権力(ルール)によって差別解消しようというのは、どうも筋が悪いように見える。目先の差別は解消しても、また新たな差別問題を生むに違いない。
 
「愛主義」って、要するに家庭のことじゃんね。
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20100417/1271510949

昨日の考え事で、「権力」に対して「愛」が対抗軸に成り得る存在だ、というところまで来た。で、資本主義に対抗して「愛主義」なんてものが有りえるのかpgrとなったのだけど、それって要するに、「家庭」「家族」のことじゃんね。確かに、「家庭」は資本主義とは異なる、別の原理で成り立っている存在だ。

 
うまく纏まらないけど、要するに、なんか冒頭のエントリーの内容には、「愛が足りないなぁ」と思った。それだけ。
 
 
 
参考:
続々・「勘違いオヤジ」批判で悦に入る人々 --- いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」別館
http://d.hatena.ne.jp/trapds/20130603/1370263626
 
現状に従順な人たちが繁栄し、現状に批判的な人たちが死に絶える運命にあるという構造に対しての疑問・問題提起は、あってもいいんじゃないかな。