chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

評価経済とコミュニケーションコスト

 
ネタ元:
評価経済社会』というすごすぎる発想
http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/09/06/235403
 
凄く面白い話なんだけど、重要な事を見落としてるんだよね。それはコミュニケーションにかかるコスト。これがまったく計算に入ってない。
 
「評価」というのは、その前提として、コミュニケーションが成立していることが必須だ。コミュニケーションが成立してない状況下では「評価」なんて下せないし、仮に下したとしても、ほとんど的外れなものであって、「評価経済社会」というものを構成する要素としては問題がある。「評価経済社会」が成立するためには、十分なコミュニケーションと、それに支えられた良質な「評価」が必要なのだ。
 
「お金」というやつを使う場合は、この「コミュニケーション」にかかるコストをばっさり削減することが可能になる。これにはもちろん功罪があって、それによって非常に効率的な経済運営が可能になる一方で、生産者の気持ちとか消費者の気持ちとか、人として重要な事もばっさり切り捨てられてしまう。
 
評価経済社会」は、そういうお金の功罪とは逆の性質を持つ。それはそれで社会にとって有用だろう。しかし、それを実現するうえでは、それにかかるコスト・・・コミュニケーションコストが、社会が容認できるレベルなのかどうか、という事が問題になる。このコストをきちんと考えないと、絵に描いた餅に終わる。
 
ところが、この「コミュニケーション」というやつには、じつは莫大な、見えないコストがかかっている。
 
このコミュニケーションコストの高さ、というのは、そうでなくてもさまざまな社会問題の原因になっている。国と国との間の揉め事の多くは、コミュニケーションコストの高さに起因する。教育コストの高さは、教師と生徒のコミュニケーションコストの高さと連動している。失業問題も然りだ。そういう問題を解決するために必要な社会全体のコミュニケーションコストを、社会全体でどのように負担して行くのか、という問題は、問題解決はおろか問題定義すらままならない状況にあるというのが現状なのだ。