chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

マスメディアと全体主義の話

 
ネタ元:
信頼失う新聞・テレビは滅ぶのか 池上彰さんが「楽観できない」と語る理由
https://www.buzzfeed.com/daisukefuruta/interview-with-ikegamiakira?utm_term=.kvGxMmR4L#.uwwr0ZAWY
 
本質的に、世の中で起こる全ての事をマスメディアが報じる事は不可能な訳だ。そこで必ず取捨選択が入る。
 
そこで、何を捨てて何を拾うのか。民間であれば、経済的な合理性は最低限必要なので、「みんなが金を出して読みたがる記事」になってしまう。NHKだと、受信料は政府の後ろ盾が無ければ徴収できないので、政府を批判するような話は控えたい、というような力学が働く。
 
そこで、情報を切り捨てられた側はいう訳だ。「なんでこの問題を報じないのか」と。それがネットで可視化されるようになった。
 
しかしここで忘れてはならないのは、物理的に少数派の意見を全て汲みとる事は、マスメディアという形態である以上は不可能だということだ。でも、だからといって、存在価値が無い訳ではない。全体の事を考えてBestな選択をすべし、という全体主義は必要。
 
例えば、「学校」とか「義務教育」を不要と考える人はほぼ居ないと思うのだが、「学校」とか「義務教育」って、全体主義の賜物だからね。学校で何を教え、何を教えないのか、という事も、マスメディアの問題に通じる所がある。
 
たとえば第2次世界大戦について学校で教える時、「全体として国益になるように」という取捨選択が、どうしても入る。日本ならば日本の国益が優先され、中国ならば中国の国益が優先される。その結果、日本側から見たら、「中国の歴史教科書はけしからん」となるし、中国側からみたら「日本の歴史教科書はけしからん」となる。

日本の歴史教科書は、イギリスと清のアヘン戦争について教えるが、第2次世界大戦中に日本軍が中国で使った麻薬の実態については教えない。イギリスの歴史教科では、アヘン戦争については一切教えられていないのだそうだ。それらはどちらも中国側からみたら許しがたい話なわけだが、そんな問題が存在すること自体、日本では一般には知られていない。
 
では、もっと上の視点から、全世界的な視点から、あるいは全宇宙的な視点による全体主義で歴史教科書を作れば問題なくなるのだろうか。しかしそうなると、「全宇宙的な視点から見たら、人類が滅亡しようがどうしようが関係なくね?」って言う話になるだろう。扱わなくてはならない情報量が増えすぎてしまうのだ。
 
つまり、マスメディアとか、学校教育とか、全体主義というものは、しょせん、中途半端なものにならざるをえないという宿命があるといえる。完璧を目指せば目指すほど、情報量が増えすぎて現実的では無くなり、存在価値を失う。そういう構造的欠陥のもとに成り立っているのだ。
 
マスメディアがどんなに裏取りをして、正確な情報を発信しようとも、情報の取捨選択が行われる時点で恣意的なものが入ってしまっている以上、それは欠陥商品なんだよ。でも、マスメディアの性質上、それを完璧な商品にすることも不可能。報道する側に求められるのは、その自覚と謙虚さと覚悟だと思う。
不良品であっても、それで将来をより良くすることができるのであれば、それでよいのだ。