chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

経済の原理原則に反する法律の話

 
ネタ元:
毎年1000億円以上も発生する「休眠預金」今後の有効な使い道は?
http://news.livedoor.com/article/detail/13994174/
 
これ、ダメでしょ。
そもそも、お金って何なのかっていう所が解ってない人が法律を作るとこうなるという、非常に悪い例。
まぁ、憲法上、「経済学の原理原則に反する法律を作ってはいけない」みたいな条文が有る訳ではないのだろうから、憲法違反ではないのだろうけれど。
 
何がおかしいのかは、次の記事がヒントになる。
 
2012-06-29 アメリカ連銀と日銀の不換紙幣への捉え方の違い
http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20120629

アメリカ人にはマネーサプライの全てに債務以外の裏付けもないという事実はなかなか飲み込めない。 まして、全員が借金を返済したらもはやマネーは存在しなくなるという驚くべき事実は思い描くことも難しい。 しかしそれが事実なのだ。 1セントも流通しなくなる――全ての硬貨と紙幣は銀行の金庫に戻ってしまう――し、誰の当座預金にも1ドルも残らない。 要するに全てのマネーが消失する。

 
100万円の預金がある老人と、100万円の負債のある老人が居たとしよう。どちらも相続人は居ないものとする。ここで、この2人の老人が死亡した場合を考えて見よう。
まず負債は、連帯保証人が居るなら、そっちに請求が行くかもしれない。しかし、老人の借金の連帯保証人は、これまた老人である事が多く、既に死亡していたり、返済能力が無い場合も多い。すなわち、銀行はこの100万円の貸付けを回収できない可能性が高い。
預金の場合はどうだろう。相続人が居るなら、相続税を払った上で、相続人に引きつがれるが、相続人が居ない場合の話である。預金通帳の所在が分からなかったりした場合、これが、休眠預金として、事実上、銀行の収入になっていた。
一方では銀行は、借金をしたまま死んだ人の損害をまる被りするのであるから、そこに引き当てるお金の原資が必要で、そこにこの休眠預金を引き当てるのは理にかなっている。預金と借金が相殺されて、信用創造と逆の事が起こる訳だが、人が2名死亡したのだから、それに見合う信用収縮が起こるというのは、これも理にかなっている。上記の記事の「全員が借金を返済したらもはやマネーは存在しなくなるという驚くべき事実」とも矛盾しない。
 
ところが現在、国民全員の家計の収支の総計はプラスである。企業もプラスである。なので、もしこのままどんどん少子化が進んで、最終的に国民が1人も居なくなり、企業が全て倒産or清算すると、銀行には膨大な休眠預金が残る状況だ。では誰が借金しているかというと、政府である。国債自治体の債務、公共機関の債務がそれだ。自治体や公共機関の債務は、最終的には国がケツ持ちしてくれるという安心感で成り立っているので、要するに国債の問題に集約される。つまり、余った休眠預金は、国債に引き当てて相殺させるのが正しいということになる。
 
要するに現在、休眠預金の本質は、国債なのだ。1000兆円を超える国債を抱えた国が、休眠預金を、埋蔵金でも見つけたかのように喜んで無駄遣いするのは、それが解らないバカのすることだ。
 
では、なぜ銀行は、このバカな法律に反論しないのか。銀行は、貸付金の金利で稼ぐ商売だ。銀行にとって、国債金利は重要な収入源の1つであり、国債と休眠預金が相殺されると、経済の原理原則的には正しくても、銀行の収入は減ってしまう事になる。銀行は、貸付先に信用があるなら、なるべくたくさん貸し付けして、なるべく多くの金利を得たい。休眠預金の本質が国債であるなら、相殺させずに、国債として保有しておいた方が、銀行としては金利収入が増えてトクだ。・・・その分、財政は厳しくなる訳だが・・・つくづく、このお金で喜んでる連中の馬鹿さ加減には、あきれるばかりだ。
 
もし、国の財政運営がうまくいって、国債の償還が全て完了し、財政が黒字になったら、銀行は、休眠預金の流出を黙って見過ごす事はできなくなるだろう。国の財政が黒字になるということは、家計か企業の収支の総計のどちらか、もしくは両方が赤字になるということだ。ここで、休眠預金を政府に持っていかれると、銀行は借金の回収に失敗した時の損害の引当金に休眠預金を引き当てる事ができず、国債金利収入も無く、経営危機に陥る。これを黙っていたら銀行の経営が成り立たない。そんなことも想像できない銀行もまた、アホである。