chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

OFF

ToDo.
済・春の服をクリーニングに出す
済・宅急便の荷物受取り
済・いつもの洗濯
済・ハミガキ補充
済・車のガム補充
 ・本を読む 動画のネタ仕込み
 
るろうに剣心の映画を見てきた。客は自分の他に2人だけだった。
チャンバラや仕掛けを頑張って作っている所は見ごたえがあったが、時代考証的に笑える突っ込みどころが多すぎた。
派手な演出で、りっぱなものだが、苦労を苦労らしく描くことができないせいでハリボテに見えてしまうのが残念だ。
これでは海外で評価される事も無いだろう。
 
今日はエアコンなしでほどよい気温の1日で、気持ち良く昼寝できた。年中こうだったらいいのに。
 

頭痛と耳鳴りと、50肩と、そのほかあちこち間接の痛み、右目の視界の歪み。
体に痛いところがあるというのは、それだけですっかり気分が萎えてしまう。
頭痛と耳鳴りで、面倒臭い考え事もできない。
何を考えても悲観的になってしまうので、なるべく何も考えずに無表情で音楽を聞いて1日をすごす。
なにもしたくない、全てがどうでもいい病。
 
食欲があるだけまだましか。
 

OFF

耳鳴り、頭痛、50肩の痛み。
筋肉痛はほぼ治った。
50肩の痛みでよく眠れないので昼間も眠くてしょうがない。
痛みどめのせいで眠くなるのかもと思って飲むのをやめてみたが、やっぱり眠い。
洗濯しただけで1日がおわってしまった。
 

夢を共有できるかどうか

「文化」って何なんだ、っていうことを考えた時に、「集団で夢を共有できているかどうか」っていうのは、けっこうキモだなと思った。
 
個人主義が重要視されるようになって、同じ会社で同じ仕事をしているからといって、必ずしも「同じ夢」を共有しているとは言えなくなっている。そういう環境ってのは、「金儲けの仕組み」でしかないから、お金が儲からなくなった瞬間に分解してしまう。
 
そんなことを、オーディオメーカーの倒産の話を見ていて思った。
 
オーディオメーカーってのは、音楽を再生する機械を作っている訳だから、音楽文化を支えている存在だったはずなんだけれども、じゃぁ実際のところ、オーディオメーカーで働く人たちが日常的にそれを使っていたかと言うと、そんなことはなくて、ほとんどの人にとって「飾りもの」でしかなかったという実態があった。そんな業界が長続きするはずは無いと30年前から思っていたよ。
 
例外はYAMAHAで、・・・まぁもっとも、YAMAHAだって昨今オーディオ機器を作っている部門は厳しい状況だろうけれども、YAMAHAは楽器も作っていて、特にクラシック音楽の楽器は何十年も、ほとんどモデルチェンジされずに生産されているものが多い。なぜモデルチェンジしないかといえば、それが音楽文化を支えているからであり、それはつまり、楽器メーカーと楽器ユーザーが同じ夢を見ることができているという幸福な関係にあるからだろうと思う。
 
オーディオ機器も、YAMAHAの売れ筋は、もう長いことモデルチェンジせず定番となっているような商品だ。なぜいたずらにモデルチェンジしないで居られるかというと、「メーカーとユーザーが同じ夢を見ることができている」っていうことがキモなんだろうと思うんだ。 
 
それが文化をささえている・・・というか、もしかすると、それこそが「文化そのもの」なんじゃないかと思ったんだ。
 
たとえばピコ手の同人誌サークルっていうのがある。収支は赤字でもずっと続ける人がたくさん居て、そういう人たちに同人誌の文化は支えられている。そういうピコ手サークルがなぜ続けられるかといえば、「夢を共有する」ってことがひとつのキモなんだろうと思うんだ。

20年前と、20年後

20年前に購入したステレオ一式、あちこち具合が悪いのをだましだまし使っていたが、20年経って、さすがにもういいだろうということでスピーカーとアンプを買い変えた。パソコンに繋いで使う。
 
もし、このアンプとスピーカを、また20年つかったら、その時、自分はもう70歳か。
年を取って、1人暮らしが難しくなったら、どこかの介護施設の世話にでもなるのだろうから、そういう介護施設に自分用のステレオ一式を持ち込むなんてありえない。だから、今回買ったこのステレオは自分の人生で最後に買うステレオになる可能性もあるのだな・・・なんてことを考えながら買った。
 
人生って、短いもんだなぁってことを実感した瞬間だった。
 

紙のピアノ

今から40年ぐらい昔の話。
 
鍵盤楽器を買うことができない家の子供のために、紙に鍵盤が印刷されたものが配られたことがあった。
それなりに綺麗な紙に、綺麗に、正確に実寸大のピアノの白鍵と黒鍵が書かれたものだ。
器楽合奏か何かで、みんなで演奏するから、そのためにそれを使って家で練習しなさいとか、そういうことだった気がする。
 
紙に書いてあるだけだから、その鍵盤を押しても音が出る事はない。あたりまえだ。
それを見た時、子供だった僕は、なんだか押したら音が出てきそうな気がして、でも押してもやっぱり音は出なくて、なんとも言えないせつない気分になってしまったことを、なぜかとてもよく覚えている。それきり、その紙の鍵盤は一度も使わなかった。
 
たぶんもう10年以上前から、ぺらぺらの、丸めることができるロールピアノという鍵盤楽器が楽器店やホームセンターのようなところで売られるようになった。価格はとても安い。音は出るが、残念ながら楽器としての実用性はほとんど無い。そのぺらぺらの、丸めることのできる鍵盤楽器を見た時に、あぁこれを作った人も、子供の頃に、あの紙の鍵盤楽器を手にした事があったんだろうなと親近感を覚えた。

今はそんなものを買わなくても、中古でいくらでも安い電子ピアノを購入できる。子供のいる家庭で、子供がそれを欲しいというなら、買い与えられるレベルにはお金のある家の方が多数派のはずだ。
 
そういう現在、そのぺらぺらの鍵盤楽器は、丸めることができるという以外には、今となってはほとんど何も取り柄は無い。でも、音の出ない紙の鍵盤から、どうしても音を出したいと思い、本当にそれと似たものを作ってしまう、そういう人の気持ちと言うのは、尊いものだなと思う。
 
これは安いおもちゃ
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調べると、それなりの値段で高機能な物もあるみたいね。