chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

OFF

昨日書いた日記で、
「開発は価値創造が仕事」
と書いたけれども、ここで「価値」という言葉がひっかかっている
価値とは何ぞや、と頭の中でぐるぐる考え続け。
 
「価値がある」「価値がない」 ・・・なんかいやな言葉だよなーと思う訳は
その延長線上に
 
「価値のある人生」「価値のない人生」
「価値のある人」「価値のない人」
 
みたいな思考が待っていそうな気がするから。
 
価値のない人生なんて無いよ!と言いたい所だが、
それをいうとそもそも価値とは何ぞやと問うことが間違っているんじゃないかということになり、
「価値創造」なんていうものがそもそも幻想なのではないかとか。
 
ぐるぐるぐるぐる・・・。
 
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で、本日の結論。閃いた。
 
「価値創造の根源は子供を生み育てることに尽きる。子供を生み育てるという事に勝る価値創造など無い」
 
金やプラチナやダイアモンドの価値は、その価値が孫末代まで変わらないと考えられるからこその価値なわけで、孫末代が存在しなくなったなら、その存在価値はその時点で無意味になってしまう性質のものであるはずだ。
 
もっと大きなスケールで想像してみよう。もし明日から世界中のだれもが子供を生まなくなり出生率ゼロの状態がずっと続いてしまったならば、たかだか100年かそこらで人類は滅びて、その時点で人類にとってのすべての価値は無に帰する。世界中の何兆円だか何京円だかしらない途方もない富が、だ。現代のすべての「資産価値」や「価値創造」というものは、未来の子供たちの存在を担保にして成り立っている!
 
・・・と考えると。
子供を生むか生まないかの決定権は各個人にあるという主張、それ自体は間違っていないにせよ、そんなことを声高に主張しなければならない人間がいる社会というのが、なんか変なんじゃないか?という事に気がつく。
子供を生みたくないという人がいれば、まずは社会全体の最優先事項としてその原因を取り除くように動いてしかるべきなのではないか?
  
同様の理由で、家庭を犠牲にしたり、結婚・妊娠を先延ばしにしてまで仕事をするというのも、大局的に見ればおかしなことであるに違いない。
 
 
ちょっとすっきり。
でも彼女も子供もできるめどの無い自分の状況に鬱。