chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

日本人はマシン語の歴史的価値を理解できない

 
元ネタ「マシン語ってどんな感じか知りたくなった方へ」
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070913
 
概ね同意。
 
それにしても、マシン語を馬鹿にしてはばからない人を見るにつけ、なんだか悲しい気分になる。「いまどきそんなもの役にたたないよ」とか、まぁ他にも色々主張はあるようだけれども。マシン語を知っていたら2chを作れるのか?と言われてしまえば返す言葉はない。
 
宗教のことを引き合いに出すのは誤解を招きやすいので気が引けるんだが、他に良いたとえが思い浮かばないんだが、これがヨーロッパだと、カトリックにしろプロテスタントにしろ「聖書」というものがある。「聖書なんて何の役にも立たないよ」というのは簡単だし、ぶっちゃけ自分だってほとんど読んだことなんてないけど(爆)、たとえ信者でなくとも「永い歴史があって大勢の信者の居る聖書を馬鹿にするのはきっと良くないことなんだろう」というぐらいはイメージできる。
 
オープンソースの世界、その中でも特にヨーロッパ勢の人達の活動というのは、私から見るとなんだか「コンピュータ界の聖書を作ろう」としているようにも見える。おそらくこの先の人類の歴史の相当に永い間、文明を支え人類の役に立ち続けるであろう「まるで聖書のような何か」の創造に参画できるということは、それだけで自分の人生を捧げるに値する名誉なことだ、とイメージしやすい地盤がある。同じオープンソースでも、似非ウィンドウズを作ることにやっきになっている後進国プログラマとは次元が違う。
 
翻って日本では。
 
春には桜の下で花見をし、夏には盆踊り、冬にクリスマスを祝ったかと思えば正月には神社に参り、結婚式は教会で子供が生まれたら神社で七五三、お葬式はお寺という具合。 本当はそれぞれに永い歴史とか意義とかあって、それこそ詳しく知っているにこしたことは無い訳だけれども、そういうことをくどくど言う奴はだいたい嫌われ者だ。それこそ「そんなこと、何の役にもたたないよ」・・・そういう歴史や文化を軽視する態度こそが今の日本文化を象徴していると言ったら言い過ぎかい?
 
そんな訳で、「プログラマーマシン語を覚えるべきだ」という話は、「教会で結婚式を挙げるやつはキリスト教の信者になるべきだ」という話とかぶって見えてしまう訳です。「マシン語を知っていれば、不可解なバグを乗り越えられる」=「聖書を知っていれば、人生の苦難を乗り越えられる」ほら、なんだか似ているでしょ? そしてそんなことを言っている今この時も、不可解なバグに悩むプログラマも、自殺を悩む人も、ゴマンと居る訳。
だからどうしろって、よくわかんねーけど、なんというか、現代日本の歪みを象徴する話だなと。