chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

夢を売るMicrosoft vs 現実を見据えるUNIX系

このネタ、以前にも日記に書いたかしらん。
 
LinuxとかSolarisとか、UNIX系のOSを業務で使って、初めて思い知らされることは何かというと、
「コンピュータなんて所詮、電卓の延長線上にある多機能計算機でしかない」
ということだ。それ以上でもそれ以下でもない。冷徹なまでに現状を直視して、できることをやり、できないことはやらない。そこには「コンピュータ」という言葉がもつ近未来的な幻想なんて無い。目の前にあるのは、ただの「多機能計算機」。 
絵画も音楽も物理も経済も、とにかく文字にできるものは一度すべて文字で表現してみる。文字で表現できればあとはこっちのもんだ。文字というのは本質的にデジタルなものだ。文字は有限個数しかない。だから、100%の文字を100%数字に置き換えることができる。数字に置き換えることができれば計算機で処理できる。そして、この原理をとにかく何から何まで何にでも応用しまくる。
数字をあなどってはいけない。今の世の中は数学無しには回っていかない。それはもう普通の人の脳みその感覚からいえば、「数字のマジック」とも呼びたいほどの巧妙さ。
コンピュータの可能性とは、要するに数字のマジック(に見えるような高度な数学)の可能性と、全くイコールなんだなと。その現実を正面から見据えて格闘している文化がUNIXなんだな、と、俺は理解した。
 
翻って、Microsoftはどうだったか。
そこにあるのは、ひたすら解りやすい近未来のプレゼンテーション。「ほーら、Microsoftの製品を使えばこーんな夢みたいなことがこーんなに簡単にできちゃって、素敵な未来がやってきますよ」という幻想を、ひたすら売りまくって肥大化してしまった。そこには数学のすの字も無い。数学嫌いな輩にはうってつけだ。
そして生まれた、死屍累々たるデスマーチな開発現場。 UNIXの現場にデスマーチが無かったとは言わない。でも、現実を見据えて現実的な解を目指すUNIXの文化と違い、夢を見ながら夢を追うWindowsのアプリケーション開発がどんな結末を迎えるか・・・。
 
最近のネタでいうと、PHPに対するPerlRuby論争の根本的な方向性の違いというのが、こういうところにあるんじゃないかとも思うんだ。
 
即ち「夢を追うPHP」 vs 「現実を見据えるPerl & Ruby」。
 
Perlも昔は「夢を追うPerl」だったんだ。だから、PHPに向かって「いつまでも夢ばっかり見てないで現実を見ろよ」とPerl党が説教するのは、なんだかむずかゆい気もする。ひょっとすると新しい未来を切り開くのは「PHPで夢を追いかける人たち」なのかもしれない。そうであってほしいと、思うのだけれど。

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http://anond.hatelabo.jp/20080130215148