chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

論証って難しいなぁ。

 
話し合いをダメにする論証パタン13個(有意義な論争のための議論ハック)
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080316/1205667545
 
耳の痛い話ですね。この手のミスでさんざんやらかしてきましたからね。
ブックマークしておくだけにしようかとも思ったんだけども、考えたことメモしておく。
 
[そもそも、論証とは何か]

たぶん、ここのところがまだ良く理解できてない自分。

いくら正しい論証でも、それが何の役にも立たない論証だったら価値がない。
多数の人に大事にされる論証というのは、その論証が、なにかを合理化するために役に立つ内容であることが求められるものなんだろう・・・たぶん。
 
個人的な「感想」というのが、論理的に矛盾する内容になってしまうことは、ありえる。だって、人間だもの。(みつをのまね ・・・けして好きではない)
論理的に矛盾する感想を表明してはならないのかというと、まぁ、それは表現の自由とかなんとか言って、自由に行うことができたちゃったりするから、ここが誤解やミスリードの原因になりやすい。それがひどいことになると、流言飛語の流布というやつになってしまう。なかでも特に、著者が誰なのかが明記されていない文というのは、論証と誤解されやすいので注意したほうがよい。

気を付けないといけないのは、「こういう感想を持ちました」という感想文と、「これこれの理由によりこうなると結論付けられる」という論証は、全く次元が違う話なのだということ。

あらゆる文章の最後に「・・・だろうと私は思った」と付ければ、それはたちまち論証ではなくなってしまうかわりに、どんなに矛盾した感想であろうとも、とりあえず感想文としては成立してしまういうことになる。だって、そう感じちゃったんだもの、思っちゃったんだもの、しょうがないじゃない。

感想文は論証ではないので、論文の大事な所に感想文を書いてしまったりすると、それはもはや論文では無いor論文として価値のないものとしてみなされる・・・という理解でいいのでしょうか。
 
逆に言うと、ブログやなんかで気軽に考えた事を書いてみる分には、文末に「〜と思います」を付けて「これは論証ではなく感想文ですよ」という形にすれば、イタイ突っ込みから逃げることが可能なのかどうか試してみたくなった。
 
まちがった論証:

例「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。最近、彼らは別れたらしい。ということは、瀧沢は浮気したということだ」

 
感想文:

「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。最近、彼らは別れたらしい。ということは、瀧沢は浮気したにちがいないと私は思った」

文章としては間違ってないような気がする。(笑)思っちゃったんだものしょうがないじゃない。何の価値もないけど。
 
まちがった論証:

例「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。瀧沢は激しくブサイクなので浮気したくてもできない。ということは、彼らは別れることはない」

 
感想文:

「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。瀧沢は激しくブサイクなので浮気したくてもできないのではないかと思う。ということは、彼らは別れることはないだろうと私は思った」

ふむ。逃げてる逃げてる。
 
まちがった論証:

例「奈々子は、『ネカマ』か『ただの痛い子』のどちらかである。瀧沢によると、奈々子はやっぱりネカマだそうだ。したがって、奈々子は、ただの痛い子ではない」

 
感想文:

「奈々子は、『ネカマ』か『ただの痛い子』のどちらかだろうと私は思った。瀧沢によると、奈々子はやっぱりネカマだそうだ。したがって、奈々子は、ただの痛い子ではないだろうと私は思った」

 
まちがった論証:

例「学校教育は、程度の差はあれ、社会的に必要な「しつけ」として認められている。体罰も物理的な「しつけ」なのだから、教育的体罰も認められるべきだ」

  
感想文:

「学校教育は、程度の差はあれ、社会的に必要な「しつけ」として認められていると私は思っている。体罰も物理的な「しつけ」なのだから、教育的体罰も認められるべきだと私は思っている」

ひどい矛盾だらけな感想表明ですが、そう考えている人は実際に居そう・・・な気がします(あーもう逃げてばっかり)
 
まちがった論証:

例「私が一昨日会った若者は内気だった。昨日会った大学生は、きちんと目を見て話せなかった。今日話した高校生はみな、自発的に意見を言おうとしなかった。したがって、最近の若者はコミュニケーションへの意欲が低下している」

 
感想文:

「私が一昨日会った若者は内気だったと私は思った。昨日会った大学生は、きちんと目を見て話せなかったと私は思った。今日話した高校生はみな、自発的に意見を言おうとしなかったように私は感じた。したがって、最近の若者はコミュニケーションへの意欲が低下しているのだろうと私は思った」

 
以下略。
断定的なものの言い方をすると、よっぽど論理的に抜け目なく理詰めで責めないと、上げ足をとられまくるという話ですね。
安易に断定的なものの言い方をするのは、控えた方が良いですよと。