ここ最近のこんな人気エントリーに便乗してみる
自己批判してみるよ
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080621/1214095147
本当はアマチュアも無償で商品を作ってはならない --- 何かの間違い
http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20080626/1214490724
で、さらにこれ。
はてなに絶望しました。もうブログやめます。--- Paper Storm!!!
http://d.hatena.ne.jp/shiroann/20080627/1214495914
「プロ アマチュア」 google先生の回答
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%80%80%E3%83%97%E3%83%AD&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a
このネタでぐるぐる考えて、ふと閃いたのが表題
「プロとアマチュアを分けるのは、批判に耐えるメンタリティーなんじゃね?」
ということ。
批判を真摯に受け止め、なおかつ信念を持って活動を続けるのがプロ。
批判を聴かない、あるいは排除しようとする、もしくは逃げるのがアマチュア。
実は表面的なお金の問題なんて関係ないんじゃね?っていう。
もちろん、だからアマチュアが駄目なんていうつもりはさらさらない。続けるのもやめるのも、プロになるのもアマチュアで居続けるのもそれは個人の自由なのであって、他人がとやかく言うことではない。
たとえば小学生の書いた作文や、工作や、絵画なら、作者がその作品に向けられた批判に耐える精神力を持ち合わせていないことぐらい、大人なら容易に想像がつく。だからむやみな批判は誰もしない。「あらお上手ね〜」とかなんとかいって褒めて終わる。それで問題ない。
ブログやニコニコ動画は、UP主がアマチュアなのかプロなのか、ごちゃ混ぜになっていてすぐには判断が難しい。その結果、小学生並みのメンタリティーしか持ち合わせないアマチュアなUP主をこき下ろすとか、逆にバリバリのプロにお世辞コメントをつけてお寒いことになったりする。
これがリアルな人と人とのコミュニケーションであったなら、相手が批判に耐えるメンタリティーを持ち合わせているかどうかの判断をするのは比較的容易だ。それはもう、放っておいても目つきとか風貌とかに如実に表れてきてしまうから。
UP主が批判に耐えるメンタリティーを持ち合わせているのか、いないのか、すなわち精神的にプロなのかアマチュアなのかの判別が難しいというのは、今のインターネットが抱える問題の1つと言ってよいと思う。この問題が解決しないかぎり、いつもの無断リンク云々とかネガコメ云々といった議論は今後も繰り返されてしまうだろう。
ブログやニコニコ動画へのネガコメは、必要悪としてもうすこしポジティブな評価があってもよいと常々思っている。もっといえば、ネガコメできることがこれらのサービスの重要な存在意義ですらあると思う。それはどういうことかというと、
これも少し前に話題になった人気漫画家のエントリー
思うこと。 --- まゆたんブログ
http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
例えば、新條を育ててくれた口の悪い編集者がいるのですが
新條が新人の頃その人に、ネームを床にばらまかれ、
「こんな漫画じゃ商売にならないんだよ!」
と足で踏みつぶされました。
「お前はウジ虫みたいな漫画家なんだから、
ウジ虫はウジ虫なりにない知恵しぼって漫画描け!」
とも言われました。
まぁ、ここだけ抜粋するのもいかがなものかとは思うのですが、あえて。
第一線でプロとして活躍している人というのは、漫画家に限らず似たような経験を経てきているのではないかと思うのです。順風満帆で誰にも批判されないまま一流になる人なんていない。批判されて成長するのなら、批判される場が身近にあるほうが成長の助けになる。的外れな批判があったなら、それを的外れだと冷静に判断する能力もプロには求められる。批判される場としてのブログやニコニコ動画は、長い目で見たときに、UP主の成長のために重要な役割を果たしていくはずです。
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ここの所、新入社員にいらいらすることが多いのも、批判に耐えるメンタリティーを彼らがまだ持ち合わせてない、ということに起因しているように思われる。
自分も昔はそうだったはずで、そこはある種の開き直りというか、どんなにうまく仕事をやり遂げてもなお、遅いとか高いとか理不尽な文句を垂れる輩は必ず存在する・・・という現実に向き合わざるを得ない時がくる。だからといってさじを投げるのではなく、批判に耐えつつ安い早いうまいを目指して日々精進するしかないと腹をくくったときに、初めてプロの入り口に立てるのだろう。
彼らをどうやってプロの入り口まで連れて行くか。それが問題だ。
プロはお金を要求すべきというのは、「批判に耐えつつ安い早いうまいを目指して日々精進する」ために、普通に考えればどうしても一定以上のお金が必要ということの裏返しと理解すべきと思う。経済的な理由でプロを潰してしまうケースも実際には多々ある訳で、難しい問題だ。プロといえども、批判には勝てても、貧乏には勝てない。
三波春夫の言葉
「良い仕事をしましょう。お金はあとからついてきます」
そういう世の中でありたいものです。