chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

物質的に満たされた人は科学を軽視する傾向がある

 
元ネタはこちら
[秩序][信仰]科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? --- よそ行きの妄想
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
 
トラバがいっぱい上がっているけれども、エントリーをざっと見て、俺と同じ視点の意見がなさそーだなーと見えたので、エントリを上げておく。
 
私なんかはど田舎の育ちで、まぁ今の子供たちの水準と比べれば「物質的には」貧しい環境で育った。親からも「物を大事にする」ということは口酸っぱく教育された。こういう環境で育った俺が、科学の何に偉大さを感じるかといえば、「物作り」のありとあらゆる場面で、科学的な手法が本当に役に立つということだ。本当に驚くほど役に立つのだ。庶民がみな貧しい生活を強いられていた時代に、「物質的に」それを解決するために、科学的な手法というものは、まぎれもなく強力な武器になった。この物作りの現場では、信じる/信じないとか、権威が云々ということなどどうでもよい。とにかく役に立つものをローコストに作るという即物的な効用が、科学の重要な意義の1つだったのだ。
 
しかし時代が変わって、だれもが当たり前に毎日食事をし、夜は暖かい布団で寝ることができ、夏には冷房があり冬には暖房があり、病気になればいつでも病院で見てもらえる、みたいな、生きていくために必要な要件があたりまえのように満たされるようになると、その社会での「科学」の地位というのは、相対的に下がらざるを得ないだろう。現代では、科学があたりまえになりすぎて慣れっこになってしまって、そのありがたみを実感する場面というのが日常生活の中から消えてしまった。そして人々の興味は非論理的な娯楽へと向かう。今の日本の学生の理系離れは生活水準の向上と表裏の関係にあるのではないかと思っている。
 
物質的な欲求がある程度満たされるようになって、それでもなお満たされない何か・・・を人々が求めるようになったとき、そこでは「科学」も「ニセ科学」も「宗教」も、はっきり言って同列だという視点は軽視すべきではないと思う。ある人は物質的に豊かであってもなお科学への興味を失わないかもしれないが、それと同じぐらいニセ科学や宗教に心の充足を求める人が居ても何ら不思議ではない。
 
そして困ったことに、この先も日本が物質的に豊かであり続けるなら、そういう人もまた、間違いなく増え続けるに違いない。まぁ、本人がそれで幸せになれるなら、他人がとやかくいうことではないし、かくいう俺だってけして人に説教できるほど満ち足りた幸せな人生を送っているわけでは無いのだけどね。
 

 
関連(後日追記):
日本が戦争に負け、屈辱的な思いをしたのは、科学で負けたからだ。だから何とかして日本を立派な国にしたいと思った。--- 企画進行中
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20081125/p1