chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

事実と価値の話 つづきのつづき。

 
科学を考えるときに、事実と価値は切り分けて考えろ、という話の続き。
これ自体は、科学は価値について考えるなと言っているわけではない。区別しろ、ごちゃまぜで語るな、と言っているだけ。
 
かつて、発見当初には何の価値もないと思われていた事実が、その後何十年とか何百年とか経ってから、その重要性が再発見された、なんていう事例は山ほどある。その歴史的な反省を踏まえれば、当然の態度だよね。
そういうわけで、大学の研究では、目先の価値よりも、もっと超長期的な視野に立つことが尊ばれるようだ。
 
事実は何百年経っても、世の中がどう変わっても、事実は事実として一定の評価が可能という強みがある。大事なこと。
 
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そこで思ったのだけど、事実と価値を切り分けて、「未知の事実を追求」して明らかにしていくスペシャリストを、科学者だとか研究者だとするならば、もう一方の「未知の価値を追求」するという取り組みもあって然るべき。このスペシャリストは今の世の中で言えば誰なんだろう?と。たぶん・・・企業の経営者とか、企画する人とか、あるいはアーティスト、なんていう人たちかな。独立して独創的な仕事をするような人たちは、そういうことに敏感なイメージはあるね。
 
「未知の事実を追求」して明らかにしていくスペシャリスト・・・であるところの修士とか博士とかは、大学院で大量生産されて今やその就職先に困るほどだ。では、もう一方の「未知の価値を追求」する方の人は、といえば、どうも体系的な教育システムが不足しているし、人材も不足してしまっているんじゃなかろうか。たとえば「似たようなTV番組が多いなぁ」なんていう話は、「未知の価値を追求」する人が不足している話にも聞こえる。
 
 
「未知の価値を追求」する人が集まるホットな場所といえば、・・・自分がニコ厨だから贔屓目な話にはなるけど・・・、そう、全然関係ないものどうしを組み合わせて創るニコニコ動画MAD作品なんていうのは、まさにこれじゃないか。そうそう、出発点であるところの「動画にコメントを流す」なんていうのも、いわば「未知の価値」に対するチャレンジだったとも言えるよね。 初音ミク他のVOCALOIDがもてはやされるのも、そこに「未知の価値を追求」する余地があるから、とも言えそうだ。
 
ここでは科学とは対照的に、どんどん「価値」が消費されて、新陳代謝していってしまうので、1年前とか半年前の作品がもう今ではあまり評価されなくなっちゃった、というような、作者にとってはかなり残念な話も一方では起こる。そのへんが科学者には馬鹿にされる所かもしれない。けれど、じゃぁそれが無駄なことだったのか?、と問われるなら、俺はそうは思わない。
 
事実と価値というのはきっと、車の両輪みたいなもので、どちらか片方だけで世の中を豊かにできる訳じゃないのだろう。例えばインターネットやコンピュータを支えているのは科学だけれども、科学だけで経済が動くわけではないし、科学だけで生活が潤うわけでもない。当たり前の話だね。
 
 
そうなんだよ。けっこう世の中って、「未知の価値」に飢えているし、「未知の価値を追求」する人はまだまだ不足しているんじゃないか。
 
 
 
 
 
蛇足だが「未知の事実を追求」「未知の価値を追求」と来れば、もうひとつ「未知の○○を追求」っていうのと3つ並べて、3権分立みたいに定式化できたらカッコよさそうだなぁ、・・・なんてことを思ったけど、これはどうもうまいのが思いつかない。ボツかな。