ネタ元:
http://d.hatena.ne.jp/kmori58/20090723/p1
国内を家計・企業・政府・海外部門の4つに分けると、これらの各セクターごとの純貸出・純借入の総計は常に0になる
つまり、家計や企業や海外部門が黒字になるために、積極的に政府が赤字を背負っているのなら、政府の赤字は悪いことばかりではない、という見方もあるわけか。
ただまぁ、直感的にはなんか納得いかんのだけどね。みんなが収入以下で生活して、経済を回せる仕組みを作ることが本当に不可能な話なのかどうなのか、もうちょっと勉強してみるか。
で、その政府の赤字を積極的に認めるとしても、何十兆だの何百兆だのというオーダーになると、もう感覚的に理解不能な金額で、これって政治家だって五十歩百歩のはずで、そういう「感覚の麻痺」が恐ろしいなぁ、と思うのですよ。
この政府の借金というものを身近にするために、国債を1万円づつ紙幣の形にして「国債紙幣」なるものを創って国債を切り売りして、日常的に流通させたら面白いんじゃないか、なんていうことを考えて遊んでみた。
この「国債紙幣」は、額面1万円なら基本的に普通の1万円と同じように全てのお店や会社同士の取引で使える。だって政府が保証するのですからね。断るってことは政府を信用してないってことでしょ。まぁ純然たる民間どうしの取引きなら断るのもアリだけど、政府から仕事をもらってる会社や公務員にこれを断る権利は無いよね。あぁ、あと国会議員の給料ももちろんこれね。で、公務員や公共事業、天下り団体などの政府からの支払いは全部、国債紙幣ということにする。税金で集めた現金?そんなの今までの借金の返済に充てたら、もう残ってないっすよ。だから公務員や土建屋への支払いは全部、国債紙幣で支払いを行います。振込は現金の口座とは分けて、国債の口座へ。キャッシュコーナーでおろすときには、現金ではなくて国債紙幣が出てくる。こうすれば、「あぁ、俺たちは政府の借金で飯を食わしてもらってるんだなぁ」っていう実感がわくでしょ?
で、その国債紙幣、たとえば10年ものなら、10年経てば利息付きで現金と交換できる。ここが現金とは違うところ。現金はタンス預金しておいても利息は付きませんが、国債はタンスにしまいこんでおいても利息が付きます。だから、建前では現金で支払われるより国債紙幣で支払われる方がオトク。タンス預金大好きなお年寄りにも喜ばれるでしょうきっと。
国債を売買して現金化するときのレートは現状と同じように相場で決まるものとすると、国の信用が落ちるようなことをすると国債紙幣でお給料もらって貯国債してる人たちは困っちゃうから、頑張って国の信用を保つようになるに違いない。ここがポイント。この程度の緊張感は、あってもいいんじゃないかなぁ。
国債紙幣を日常生活でみんなが使うようになると、感覚的に世の中のどれぐらいの量のお金が国債なのかっていうことが日常生活のなかで感覚的にみんなに解るようになるっていうのもミソだね。
つまるところ、これって政府の判断次第でいくらでも世の中のお金の流通量を増やせるっていうのと同じことだよね。たとえ「国債紙幣」なんてものが実現することが無かったとしても、それに相当する国債の取引がこの世の中のどこかで行われていることには違いがない。つまり日銀がインフレやデフレをコントロールしようにも、政府がもし野放図に国債を発行し続けたら、そのうちコントロール不能になる危険は、やっぱりあるんだよね?ってことを改めて思った次第。