chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

水道哲学がもたらしたのはデフレだったか?インフレだったか?

 
水道哲学とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%81%93%E5%93%B2%E5%AD%A6

「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る」

 
BRICSの発展の様子について読んで連想したのが、この水道哲学。もっとも、日本以外の国では水が貴重な国が多いから、このまま英訳したのでは意味が通じないと思うが、今BRICSにおける産業界が目指しているのは、本質的にはこの水道哲学の実践と等価なものだろう。
 
そういえば、インターネットというのも、まさに水道哲学の水道の働きをしていることに気がつく。情報の水道だ。蛇口をひねれば水が出てくるように、検索すれば情報が引き出せる。もし松下幸之助が現代に生きていたら、松下電器でもGoogleのようなビジネスを始めていたかもしれないね。現在でも堂々と通用する経営哲学を、昭和9年に提唱した松下幸之助はやっぱりすごい。
 
 
最近の経済ニュースでよく出てくるデフレとかリフレ政策とかに対する違和感というのが、この水道哲学との相性の悪さに起因するような気もする。ちょっと考えてみよう。水道哲学によってもたらされるのは、インフレなのか?デフレなのか?
 
商品やサービスの値段だけに注目するならば、水道哲学によってもたらされるのは徹底した大量生産によるコストダウンである。しかし経済学者の言う事には、値段が下がったからデフレという訳ではないのだという。
 
十分な経済成長をはたした後、モノが行き渡ってしまってそれ以上必要ない、ということになってしまうと、大量にモノを売りさばくことを前提としたビジネスは成立しなくなる。そして販売数が減少してしまった後に、なお利益を維持するためには、値上げが必要になるはずなのだが、むしろ供給過剰で価格は下落し、ビジネスが成り立たなくなり、倒産する会社や失業者が増える。「産業人の使命は貧乏の克服」だったはずが、それを克服した途端に今度は産業人が貧乏になってしまうというジレンマ。松下がパナソニックに社名を変え、水道哲学を声高に唱えなくなったのも、この辺に理由があるのかもしれない。
 
つまり、水道哲学というのは、その時の社会の成熟度合いによって、インフレの原因になる場合もあればデフレの原因になる場合もありうる、ということのようだ。水道哲学が目指したのは「貧乏の克服」であるから、言い換えれば「貧乏の克服」を目指すことがインフレの原因になる場合もあればデフレの原因になる場合もありうる、とも言えることになる。


もし、人々が「貧乏の克服」を目指すせいで、現在のデフレが引き起こされているのだとすると、これをどうするべきなのだろう? 放置?インフレ誘導?それともデフレ加速?
 
今の日本の貧困の正体は何なのかというと、まずは住宅。それから食費、光熱費等の毎月の諸経費、教育費が高いことに起因する部分が大きいように思う。とりあえずこれらが十分に足りていれば、貧困で苦しいという状況は脱することができる。 そこで気がつくのは、住宅も食費も光熱費も教育費も、国際的な競争にあまり晒されていないという共通点がある、ということだ。つまり、国際的な競争に晒される業界と、そうでない業界との間にある経済的な歪みが、社会構造上の問題を引き起こしているのではないか。
 
もし原因がそういう所にあるのだとしたら、それってデフレとかインフレとかいう問題とはまったく別次元の話じゃないか。社会構造に関する問題を、金融政策でどうにかしようというのは、やっぱり筋の悪い方策に見える。
 
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経済学的には、赤字国債の発行がGDPその他の経済指標にもたらす効果というのをそれなりの信頼性で予測できる。まぁ、それぐらいできなきゃ学問とは呼べないわな。ただ、それって、いわゆる対処療法だということを皆がきちんと自覚して議論する必要がある。
例えば高熱で苦しんでいる人に解熱剤を飲ませる、という医療行為が不可避な場合はある。でもそういう時は同時に水分とか栄養のあるものを食べてゆっくり寝て休む、ということも必要なはずだし、症状が重い場合にはその原因が何なのか、より精密な検査が必要になるだろう。 なのに、今の政策というのは高熱出してる人に薬だけ飲ませて「解熱剤を飲めば熱は下がるんだ!」と言う事を連呼するばかりで思考停止してしまっているように見える。確かに嘘は言ってない。「解熱剤を飲めば熱は下がる」それは正しい。では、解熱剤で熱が下がればそれで健康なのか?というと、誰の目にもそうは見えない。なのに、なんでそこの所にもっと踏み込んだ議論をする声がクローズアップされないのか。
 
2010/3/13追記
貨幣数量説の敗北と勝利 - 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/955775.html

いいかえれば、長期的には貨幣は中立で、インフレやデフレによって実体経済の水準を変えることはできないのです。デフレは確かに好ましいことではないが、多くの国民がそれを織り込んで行動すれば大した問題ではない。それより問題は、実体経済の成長率を上げることです。磯崎さんもいうように、

死にかけならともかく、体がだるい程度で財政支出といった「クスリ」に頼って運動しないでいたら、いつまで経っても隅々まで血液が通う健康な体にはなれない。というわけで、一発逆転ホームランの妙案というよりは、継続的に体を鍛えましょうという地味で時間がかかる方法ではありますが、そういう方向性が正攻法ではないかと思う次第です。

そうだよね。同じ考え方をする学者も居るんだと知って、ちょっと安心した。