chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

もし、あらゆる物で著作権が通用したら

 
PICSYネタの続き。
PICSY http://www.picsy.org/
 
PICSYになんか既視感があるなぁと思って考えていたら、著作権ビジネスがこれに近いよね、っていうことに気がついた。

 貢献の伝播:医者→患者→ラーメン屋の客
 収入の伝播:医者←患者←ラーメン屋の客

著作権の場合

 貢献の伝播:著作者→出版社→読者
 収入の伝播:著作者←出版社←読者

PICSYと違うのは、読者の利益の大小が著作者の収入の大小にはリンクしてないということ。でも一方、良い著作は評判が上がって本が売れて著作者の収入増につながる。評判の悪い人は本の収益が上がらず続けられなくなる。著作権ビジネスにおいては、PICSYが目指していることと、同じような結果に導くための仕組みが、既に出来上がっていた、といって良いだろう。
 
著作権の保護というのは、もともと海賊版を防止する事に主眼があったので、海賊版を作りようが無いものは、事実上その保護の対象から外れている。これは不公平なんじゃないか、という話は、私も機会が有る度にしてきた。
企業内の業務マニュアルなんかがこれにあたる。企業内の業務マニュアルだって、それを作った人にしてみれば立派な著作物のはずなのに。
自動車や家電製品の設計図も、見方によっては著作物と考えることができる。しかし、設計した人に著作権料は支払われない。会社にいる間は月給として収入が得られるが、会社を辞めたらビタ一文入らない。たとえその設計図でその後の会社がどれだけ利益を上げようとも、だ。
著作権は何も紙に限定するものではないと思うので、例えば金型にだって、著作権に相当するような権利があっても良さそうなものだ。金型職人の知恵がそこには詰まっているのだから。
 
そこでもし、本の著者や作詞家作曲家、その他もろもろの、いわゆる印税で食べている人たちが主張するようなことを、世界中の人、全員が主張しだしたら、どういう世の中になるだろう?
ここで対象になり得るのは、大勢で利用できるもの、繰り返し利用できるもの全般ということになる。
 
身近な例で考えよう。手元にあるコップ。ふつう、これは私が買った私の所有物だから、それをどう使おうが私の自由。でも、著作権モデルではそうは考えない。コップはある種の著作物であり、買えるのは「コップを利用する権利」であると考える。コップを1回使う度に利用料が発生するのだ。利用料は、それによって得られる収益の数%。自分で使う分には収益なんて無いから0円でセーフ。飲食店で客に飲み物を出す場合なんかに、コップの利用料金が具体的に発生してくるわけだ。
JASRACは基本的にこれと同じこと主張してるんだぜ?買って帰ったCDを店舗で流したら、JASRACから請求書が来るんだから。
 
つまり、JASRACのビジネスモデルを全てに応用すると言うことは、ビジネスで使っているあらゆる物品や情報には利用料が発生して、その作者に利益の数%を還元することになる、ということだ。鉛筆1本、消しゴム1個、業務マニュアルや設計図、営業が外回りに使う自動車から、生産工場の設備に至るまで全部、利用料。
 
これによってどういう事が起こるか想像してみるに、業務用のあらゆる物の発達を、異常に促進することになりそうだな。それはそれでアリのような気がする。家庭用のものが下手に発達するより、業務用のプロが使うものが発達した方が経済効率が良いはずだから。
 
自動車や生産設備なら普通にアリだな。自動車の場合、現状は買うか、期間を決めてレンタルするか、という方法があるわけだけど、「借用期間の走行距離に比例して料金を払う」という仕組みは普通に有りえるね。コピー機が既にこれに近い。
 
それから、年功序列のシステムは不要になるね。なぜなら、長く会社に居た人はその分の色々な蓄積ができているはずで、そこから利用料収入を得られるようになるから。仕事をすればするほど=年をとれば取るほど、自然に収入増になる。
ある程度年をとったら、利用料だけで生活出来るぐらいの収入金額になるだろう。そうしたら、会社を辞めて、利用料収入で生活すれば良い。こういう人には年金も不要になるかもしれない。