chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

テスト出来ない法律はレガシーな法律

 
・やっぱりこれはキモ:「固定料金モデル」「従量制料金モデル」「成功報酬型料金モデル」
ミクロはこの組み合わせだけど、これをどういう割合でブレンドするかによって、経済の実質的な全体像は全然違ったものになってくるにちがいない。

・お金が公権力の断片であるとすると、「テスト出来ないお金はレガシーなお金」をもじって、「テスト出来ない公権力はレガシーな公権力」は成り立つか?成り立ちそうね。議員だと「選挙」というのが、ある種のテストに相当する機能を果たしていると言える。行政はそうじゃない。「テストできない行政はレガシーな行政」これはやっぱり問題がありそう。
 
・「テスト出来ない法律はレガシーな法律」これも成り立ちそう。
法律というのはソフトウエア工学的な研究対象に成り得るはず。動かすのが人によって構成される組織なのか、コンピュータなのかの違いだ。人の場合は「裁量枠で云々」という事ができるのが、長所でもあり短所でもあるが、それを理由に法律とソフトウエアを区別するのは筋が悪いと思う。
行政サービスを自動化しようとするなら、法律の条文に書いてあることをソフトウエアに落とし込む必要が出てくる。このとき、元となる法律の方に論理的な不整合があると、実装が困難になる。コンピュータならバグをバグとして検出しやすいが、紙の上に文書でかかれた条文にバグがあってもなかなか見つけにくい。タマムシ色の文章だったりしたら最悪。そういう事態を避けるために、ソフトウエア工学的なアプローチは、今後もっと貢献出来るようになるだろう。
 
・将来的には、法律をTDDのような形で実装を進めて、法律施行前にスーパーコンピュータで実態社会をシミュレーションし、新しい法律の功罪を検証することも可能になるだろう。ただ、ここまでくると、これは倫理的に新たな問題を抱えることになる。もし法律を施行した結果の実態が、シミュレーション通りに運んだならば、「シミュレーションどおりに動く大衆って、いったいなんなの!?」っていう話になるだろうし、目論見通りにならないなら、それはそれで別の社会問題を生む事になるだろうし。
 
・もし、スーパーコンピュータによるシミュレーションで新しい法律の功罪を事前に検証することが可能になれば、さらに一歩すすめて、スーパーコンピュータで法律を最適化することも可能になる。最も簡単な例だと、たとえば税率をいくらに設定すればもっとも税収が上がるか、という命題に対して、シミュレーションは朝飯前に最適解を出してくるだろう(社会モデルが正しいという前提で)。じゃぁ犯罪者の量刑も同様の方法で決められるか?原理的には可能。法治国家原理主義的に守り通すのならね。まぁ、そんなSF小説みたいなストーリーは誰も望まないだろうし、コンピュータが出した判決で関係者が納得するとも思えない。この場合、不合理なのは明らかに人間の方なのにな。

・でもさ「法治国家」って簡単にいうけどさ、それ自体、すでに本質的にはすごくSFチックな話なんだよね。現実社会は必ずしも法治国家とは言えない場面ばかりな訳で、まぁ、それを甘んじて受け入れるのが「大人の対応」なのかなぁ。