chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

部分最適化が高度になっても、それはリーダーを代替できない

 

先日の『民主主義2.1(夏)〜代議制の拡張可能性について〜』考えたことの続き。
【書き起こし.com】ニコニコ生激論『民主主義2.1(夏)〜代議制の拡張可能性について〜』その1
(書き起こしその2、その3がまだ来てないけど、もうすぐ来ると思います。)
 
この話の中で、私が受け取ったメッセージの1つは「世の中が複雑になりすぎて、世の中全体を、政治家が仕切ることがどんどん難しくなってきてるんじゃないか。部分最適化の積み重ねで全体を運営していくような仕組みに移行せざるをえないのでは無いか」というような内容の事。(細かい文面はかなり違うと思うので書き起こしが来たら改めて直します)
 
で、その「部分最適化」という行為においては、確かにインターネットは非常に役に立つ。「世の中が複雑になりすぎて、世の中全体をひとりの(一部の)人間が理解するなんて不可能だ」という話も、細かい異論はあるかもしれないが、概ね同意出来る。
 
しかしそこから、「じゃぁリーダーなんて要らないんじゃね?」という次元に話を飛ばすことが出来るのかというと、ちょっと待て、と思う。そのまえに、「リーダーとは何ぞや」ということを考えないといけない。
 
多くの場合、何か組織があれば、その長というのが存在する。 例外的なものといえば・・・そうだな、2chとか? 2chを組織とは呼べない気がするが、「ある種の集団」として捉えることはできる。で、2chのリーダー格の人なんていうのは、居ないといえば居ないのだけど、強いて言えば「ひろゆき」が象徴的なのかな。いわゆるリーダーらしいリーダーではないけど、「ある種の集団を象徴する代表者の1人」ではあると思う。
 
人間社会っていうのはさ、大勢が集まれば、自ずとリーダー格の人っていうのが定まってくるもんなんだろうと思うんだよね。猿山のボス猿みたいにさ。
 
で、政治の話に戻すと、これって言わば「猿山のボス猿を集めて、その中からさらに大ボスを決めて何かしよう」っていう話なわけじゃん。それに対して、「いや、もうそんなことはナンセンスだよ、揉め事になるだけだよ、もっと小さな個別の集団でうまくやっていけるなら、もうそれでいいじゃん」という解決策。これはまぁ、有りだ。有りだけれども、それはすなわち、日本という国のあり方自体を問うているのと同じことだと言う認識が必要だと思う。
 
国境のないインターネットが世の中に影響を与えるようになれば、国のあり方自体を問い直さねばならないことになる、というのは、確かに必然なんだろうと思う。 日本の選挙よりアメリカのオバマ大統領の選挙の方がTVの視聴率が高かった話などは象徴的な話だ。
 
で、そっちの方に話を振った後で考えてみると、だから「部分最適化の積み重ねで全体を運営していくような仕組みに移行せざるをえないのではないか」という話は、ちょっと理論が飛躍しすぎているように思う。そういう国のあり方もアリだとは思うのだけど、なぜそこを選ぶのか、という事はちゃんと考えなくてはならない。
 
SFの話ならば、「人の能力の限界のせいで人には全体を仕切れないなら、コンピューターが仕切ればいいじゃない」なんていう話も出てきそうなもんだが、これはSF作家に任したいので止めとく。
 
日本には「天皇」という伝統の世襲の制度があるから、そこにくると「総理大臣」の立場というのは、・・・総理大臣まで世襲議員だった、なんてことになると、なんかすごく微妙な話だとは思うよね。世襲天皇だけで十分でしょ。総理大臣は世襲じゃないことに1つの意義があるんじゃなかったの?と思わないことも無い。とはいえ、世襲議員を禁止するというとこれもまた変な話だし、しかし禁止しなければやっぱりボス猿が勝ち上がってくるという・・・、これはなんかもう、しょうがないよね。
 
 
で、まぁ要するに何が言いたいかというと、ボス猿が社会を支配する仕組みは人間の性質上避けがたいものがあるのであって、それがいかに不合理で理不尽なものであろうとも、まぁまぁそこをなんとかうまくしのぎつつ、庶民は庶民で「部分最適化」にも努めなくてはならない、というのが現実解なんだろうなぁと思ったりするわけです。