chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

「価値ある行動」について

 
先日のネタの続き。頭の中の整理。
 
「価値のある行動」には、大きく分けて2つのグループがある。
自分にとって価値のある行動と、自分以外の人にとって価値のある行動。
両方が同時に成立する場合もあるし、逆の場合もある。
 
収入に成りえるのは、「自分以外の人にとって価値のある行動」。
「自分にとって価値のある行動」は、少なからず支出を伴うことが多いが、必須というわけではない。
GDPで集計可能なのは、これらのうち金銭の出入を伴うもの。
 
で、この価値の循環をずーっと登りつめていくと、「生きることには価値がある」という前提条件が無いことには、一連の話が成り立たなくなることに気がつく。「本質的な価値」の源泉の源泉は、「生きることには価値がある」という前提条件。「生きることの価値」が「行動することの価値」に繋がる。
 
怖いのはこの逆。行動することの価値を疑う→生きることの価値を疑う、という流れ。
 
世の中には、ムダと言われる仕事がたくさんある。気をつけなくてはならないのは、「経済的に無駄」という話から、「生きるているのが無駄」という話に飛躍してしまう危険性だな。
 
でもさ、経済的理由で自殺しちゃう人って、この勘違いの最も深刻な事例だよね。そんな勘違いが、世の中には溢れている。
 
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「生きることには価値があるという前提条件」てクセモノだ。
いわゆるエコの話題とかで、「人類が絶滅するのが一番エコ」みたいな身も蓋もない結論とか。
でも私にはそれを論理的に否定する気がしない。「生きることには価値があるという前提条件」て、本能的な、もしくはある種の宗教的な観念でしかない気もする。 それじゃぁ、価値の源泉の源泉の源泉て、「本能」や「宗教」なのか?という話になってしまい。それじゃぁなんだか面白くない。
GDPを押し上げるために、「本能」や「宗教」で何とかしろ、と言われるのは嫌だろ。
 
つづく かも