chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

まつっしぃま〜〜〜〜の♪

政府発表のこの資料を見ていたら
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103151700.pdf

宮城県東松島市によると、約一万人の住民と連絡が取れていない(共同13日 12:53)


東松島市津波に襲われる様子のTV中継録画
http://www.youtube.com/watch?v=Rd4UKURcW90
 
「松島」と聞いて、連想したのがこれ

斎太郎節とか大漁唄い込みとか言われている民謡で、出だしはこういう歌詞。

松島(まつしま)の サーヨー 瑞巌寺(ずいがんじ)ほどの
寺もない トーエー
アレワエーエエ エイト ソーリャー
大漁(たいりょう)だエ

 
で、この瑞巌寺っていうのがすごい歴史のあるお寺なのな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E5%B7%8C%E5%AF%BA
最初は延福寺というお寺で、天長5年(828年)にできたと書かれている。
 
今回の大震災が1000年に一度の大震災と言われているが、その千年前の地震津波というのが貞観三陸地震、869年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%99%B8%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
つまり、なんとこのお寺は、1000年に一度といわれる、その前回の地震津波も経験しているのだ。この地域の津波被害を見守り続けてきた寺なのだ。
 
地図を見ると、瑞巌寺は、かなり海に近いところにあることがわかる。
瑞巌寺の地図 → http://p.tl/DfLR
 
で、今回の大津波で、瑞巌寺津波の被害にあったかというと、セーフだったというのだ。これは、偶然じゃないよね。昔の津波の教訓をふまえて、当時の人々が安全な場所に寺を建設したに違いない。
 
で、斎太郎節の話に戻ると、瑞巌寺と呼ばれるようになったのは1604年から1609年の工事で作り直してからなので、この歌はその後にできた歌だとわかる。で、さっきのwikipediaによると、できたてほやほやの1611年に慶長三陸地震が起こっており、津波で多数の人が犠牲になった。

松島(まつしま)の サーヨー 瑞巌寺(ずいがんじ)ほどの
寺もない トーエー

この部分、そのままでは意味分かんないじゃないですか。「寺もない トーエー」って。普通に解釈すれば「瑞巌寺ほどの(すごい)寺もない(=瑞巌寺はすばらしいお寺だ)」、という意味だろうとは思うんだけど、もしかすると実は、「瑞巌寺ほどの(すごい)寺も(津波で流されてしまって)ない」という意味だったのかもしんない。もし仮に後者の意味だとすると、「寺もない」っていう所にすごく特徴的な音程が使われる理由が納得できる。そして、「寺もない」っていう表現が、津波ですべてが流されてしまった驚きとか、亡くなった人を弔う事すらままならない悲しみ、みたいなものを一言で表現しきっているように思えてきて、これは正に昔の人の魂の唄だと思った。 瑞巌寺のホームページを見ても昔のことはあまり出ていないんだが、大昔には津波に流されることもあったりして、その後に安全な今の場所に落ち着いたんじゃないのかな(想像)。