chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

結局、PCはSF好きな人のためのファングッズだったんだろか。

結局、PCはSF好きな人のためのファングッズだったんだろか、というようなことを思った。
 
会社などでは、今後もまだしばらくはWindowsPCが主流であり続けられると思うが、iPhoneiPADと、そのモノマネ製品の氾濫により、家庭でのPCの出番というのは今後減っていきそうだ。一般的な家庭におけるハイスペックPCの役割というのは、この先は収束フェーズに向かっていきそうな気配だ。PCの出始めから、それがマニアに受け入れられ、普及し、多くの家庭に入っていき、そして他のものに置き換わって廃れていく・・・というサイクルの終わりが見え始めたという事だ。
 
PCが家庭に残したものとは、結局何だったんだろうか。 仕事で使う用途ならば、文書作成とか会計とかCADとか、とてもiPADのようなものでは置き換えできない用途というのが沢山あり、それは今後もそのままの形で残るだろう。では、家庭だと? はたしてPCは、家庭に何か革新的な変化をもたらすことができただろうか。例えばTVや冷蔵庫や洗濯機のように。
 
結局、一般的なPCが今までに実現したことといえば、遊ぶこと、他人とコミュニケーションを取ること、記録を残して活用すること、・・・だいたいこのうちのどれかでしかない。宇宙旅行に連れていってくれる訳でもないし、タイムマシンで過去や未来に連れていってくれるわけでもない。PCは掃除も洗濯もしてくれないし、食事の用意もしてくれないし、暑さ寒さをしのげるわけでもない。気の利いた挨拶ひとつできやしない。
どんなにCPUが高性能でも、ディスプレイとキーボードとマウスで出来ることなんて、所詮たかが知れている。そういう現実を直視せざるをえなくなった。この先、キーボードとマウスがタッチパネルにかわったところで、五十歩百歩だ。
 
「いやいや、実はこういうふうにすれば、もっとすごいことができるんだ!」と言っても、結局、一般市民のアタマが、それについて来られなければ、普及することはない。
 
初期のPCが流行った頃って、そうじゃなかったと思うんだ。なんかもっと、凄いことが出来る気がしていた。PCが、SF映画のような、輝かしい未来を連れてきてくれるような気がしていたわけだ。何だかよく解らないけど、「よく解らない」ことにオーラがあった。
 
・・・というようなことを、今あらためて思い返すに、今までのPCって、多くの人にとっては、なんだ、ある種のSFファンのためのファングッズのような物だったんじゃないのか、という気がしてくる。アニメファンがDVD-BOXや精巧なフィギュアを買い集めるのと、たいして変わらない話だったんじゃないか。
 
今後、ハイスペックPCが、空想のSF物語を目標にするのではなく、もっと本質的で新しい価値を一般家庭に提供することが出来るようになるとしたら、それは何なんだろうか。
 
 

参考
フロンティアでなくなったネットで、サスティナビリティについて考える --- Heartlogic
http://www.heartlogic.jp/archives/2012/01/post_637.html