chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

アーキテクチャ

今更ながら、このへんからの影響なんですけどね

建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。では人文的な知は、そのような権力の台頭にどう対峙すればよいのか。

 
「匿名的な権力の総称」って括ってしまうんじゃなくて、1つ1つ、丁寧に名前を付けていくことから始めればいいと思うんだ。
数日前の日記で、「コミックマーケットを支えるアーキテクチャ」と書いて、あぁそうか、こういうふうに、アーキテクチャっていうのはいろいろな物事の骨格に着目するとき役に立つ言葉なんだなと改めて気がついた。
 
たとえば「株式会社を支えるアーキテクチャ」は何かというと、いまどきびっくりするぐらい大雑把な骨格しか与えられていないことに驚くよな。そりゃ潰れる会社も多いわけだ。つまり、「潰れない会社を支えるアーキテクチャ」というのは、「株式会社を支えるアーキテクチャ」とは、別の次元に存在していると。そして「株式会社を支えるアーキテクチャ」は概念として共有されマニュアル化されているが、「潰れない会社を支えるアーキテクチャ」というのは、びっくりするぐらい属人的で泥臭かったりする。
 
で、最近読み返したこんな言葉

http://ascii.jp/elem/000/000/484/484998/

平沢 音楽は資本主義と相容れない性質を持っているから、音楽として生きつづけられるんでしょ? だから誰もがある種のビジネスモデルを踏襲すれば成功するというもんじゃないですよ。音楽のそういう性質をきちんと見続けて維持しつづけること。あえてビジネスモデルというならそこから発想しなければ駄目でしょう。パラドックスでしょ?

 
こういうパラドックスって、実は音楽だけじゃなくて、あらゆる所にある気がする。究極的には

人間は資本主義と相容れない性質を持っているから、人間として生きつづけられるんでしょ? だから誰もがある種のビジネスモデルを踏襲すれば成功するというもんじゃないですよ。人間のそういう性質をきちんと見続けて維持しつづけること。あえてビジネスモデルというならそこから発想しなければ駄目でしょう。パラドックスでしょ?

となる。 もし、人間が100%資本主義に順応できる生き物だったら、どんなにラクだったか。でも、それはもう人間じゃない。
では、そのパラドックスを支えているアーキテクチャはどんなものなのか、とかさ。
 
 
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あまり政治のことは話題にしたくないが、今の政党の何がダメかといえば、「政党を支えるアーキテクチャ」なるものが貧相すぎってことだよな。