chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

夢を語ること

 
「勘違いと思い込み」の話の続き。
 
本当に、世の中ってのは、「勘違いと思い込み」で成り立っていることが多い。そういう社会において、どういう人が偉く成れるかといえば、「人を勘違いさせたり、何かを思い込ませたりする能力に長けた人」という事になる。
 
 
そういう状況下で、「夢を語る」と言う事はどういう意味を持つんだろう。「夢を語る」という場合の「夢」の土台となっているのは、少なからず「勘違いと思い込み」である。もしそれが「勘違いと思い込み」ではなく、理路整然としたロジカルシンキングで成り立っているのならば、それは普通は「夢」とは表現されない。それは人生計画とか事業計画とか呼ばれるものになる。
 
「勘違いと思い込み」に満ちた「夢を語る」というのは、考えようにっよっては、かなり恥ずかしい行為だ。しかし、だからといって、世の中の誰もが夢を語らなくなってしまったとしたら、それはどんな社会になるだろうか。
 
幾つか転職してきた中で、元気が無い会社の共通点の1つに、「会社の中で夢を語れない」という事があったと思う。何事にも理路整然とした根拠を求められるような場所では、夢を語ることは難しい。 しかし、夢を語れない場所で人生を費やすことに何の意味があるんだろう、とも思う。