chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

やっぱり納得いかないお金の事

 
頭の中を整理しよう。
 
・お金=債権。
 お金を使うとは、一種の債権を行使して、物やサービスで返してもらうのと同じ。普通、債権と言えば、お金と交換する前提になっている事が多いが、お金の場合は交換対象が物やサービスだという事。そこが違うだけで、基本的な考え方は一緒。
→世の中の「お金の総量」は、誰かが借金しないと増えない。世界中の人が全ての借金を返済し終わったら、世の中の正規のお金は相殺されて、全て消滅し、物物交換の社会に戻ってしまう。
→お金がないと世の中が回っていかない、とは、誰かが借金しないと世の中が回っていかない、という事と等価。
 
 
・一方、人々の労働の結果として、世の中の富は増え続ける。仮に、世の中の借金が一瞬のうちに全て返済されて世の中のお金が消えて無くなったとしても、それ以外のほとんどの世の中の富は、そのまま残る。
 
・世の中が豊かになった結果、人々が借金をすることを敬遠しはじめると、世の中のお金の総量が増えなくなる。一方、今まで通り人々が働き続ければ、世の中の富の総量は増えつづける。
 
 
 「世の中の富の総量」>「世の中のお金の総量」 となり、デフレが進む。
 
・いくら金融緩和や規制緩和構造改革をやっても、「世の中のお金の総量」=「世の中の借金の総額」が増えなければ、この不均衡は是正されない。
 
・そこで、政府が借金して、「世の中の借金の総量」=「世の中のお金の総量」を増やそうとしている訳だが、ちょっと待てと。 「世の中の富の総量」と、「世の中のお金の総量」がリンクして増減するような仕組みに変えていかない限り、根本解決にはならない。政府の仕事とは、根本解決に向けて世の中の仕組みを作っていく事なんじゃないのか。
 
・とはいえ、「世の中の富の総量」を測るのは難しい。例えば、パナソニックプラズマディスプレイの工場に多額の投資をした時、それは確かに、投資に見合った価値のある物のはずだった。しかし、プラズマディスプレイが売れないと解った瞬間、その工場の価値は暴落した。これに相当する事は、規模の大小こそあれ、日本中世界中、至る所で起こっていて、世の中の富の総量は常に変化し続けている。
 
・「価値」と関わりの深い要素として、「時間」がある。人生に与えられた時間の総量は限られている。人生を複数形にしても同じ。「人類に与えられた時間の総量」が突然急激に増えたり減ったりすることは無いので、比較的、計量が容易だ。
 
・従来の指標で「価値のある物」とされる物事であったとしても、それがロボットで大量生産されるようになった結果、それを「限られた人生の時間内」で全て消費し尽くす事が困難な状況になりつつある。消費できない生産物は無駄・無価値である。
 
 
つまり、お金を増やそうが世の中の富を増やそうが、経済成長を続けていくと、最後は「人類に与えられた時間の総量」がボトルネックになる。
 
 
・翻って「人類に与えられる時間の総量」を基準として、物事の価値を割り出すような、価値体系っていうのがあっても良いのではないか。 時は金なり、というが、まさにそれをそのまんま具現化したようなお金があっても良いのではないか。お金の単位として、円やドルやユーロの代わりに、たとえば 時間/人 をそのまま使うとか。1人が8時間働くと、「8時間/人の債権」が報酬になる、とか。
・「子供が生まれる」=「人類に与えられた時間の総量が増える」=「富が増えて、めでたい」
・「人が死ぬ」=「人類に与えられた時間の総量が減る」=「富が減って残念」
 
・そういう意味では、1日のうち、8時間を仕事、8時間を私用に、8時間を睡眠に使うってのは、仕事の時間数≒私用に使う時間数 という意味で、バランスが取れてるんだな。案外、みんなが残業やめるだけで経済が好転したりしないのかな。
 
・「時間/人」の問題は、個人の能力の差が賃金差にならない事。要するにこれって究極の社会主義か。実際にはうまくいかないんだろうなぁ。
 
 
・とはいえ、誰かが借金しないと、世の中のお金の総量が増えていかないってのも、極端すぎやしないか。もうちょっと折衷案的な手段は無いものか。