chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

エネルギー問題の話

 
ネタ元:
豊かさとは何か?、迫られるパラダイムの転換 - 辻 元
http://agora-web.jp/archives/1546377.html
 
数十年前から似たような事は繰り返し言われてきていて、この手の主張は世間では、すっかりオオカミ少年扱いされる風潮になってしまった感がある。
 
この主張を真っ向から否定するような経済学者は、ネット上では見かけない。なぜなら、数字の裏付けがあるからだ。数字を見て冷静に状況判断するならば、だれでもこのような結論にならざるをえないはずだ。
かといって、これに同調するような意見も見かけない。このような主張は、経済学の有効性を否定するものであり、経済学者の存在意義を脅かすものだからだ。
この記事を書いている 辻 元 さんが経済学者ではなく数学者だというのは、納得だ。もし仮に、この人が学生時代にたまたま経済学の道を選んでいたら、同じ事を主張していたかどうかは解らない。
 
ツッコミを入れるとすれば・・・
 
・地下資源獲得の難易度の上昇が、即コスト上昇になる、というのは、技術の進歩が無い場合の話だ。 例えば、パソコンのCPUの生産難易度はどんどん上がっているが、CPUの単価はあまり上昇していない。生産技術がどんどん進歩しているからだ。 地下資源獲得の難易度が上昇しても、それ以上に掘削技術が進歩するならば、コスト上昇を抑えられるかもしれない。例えば、仮に全てを全自動で行えるようになったなら、コストの内容はかなり変わってくる。
が、実際には、自然相手では、なにかと一筋縄ではいかないんだろうな。CPUの生産なら、完全にコントロールされた密室内での話だが、地下資源の掘削は、場所によってさまざまな対応が必要で、必ずしも過去のノウハウが有効とは限らない。その度に新しい技術を開発していたら、莫大なコストがかかるのもしょうがない。
 
・地下資源の価格が高騰してくれた方が好ましい人というのも、実はたくさん存在する。全体主義的な視点から見れば、資源不足は重大問題だが、個別の会社単位で見るならば、そんなことはどうでもよい。自分の利益を最大化することこそが最大の命題である。それが現在の資本主義だ。そういう状況下では、必ずしも徹底した合理化や自動化を推進する事が最善の解であるとは限らない。投資を抑え、その結果不合理な掘削を続ける事になったとしても、それ以上に地下資源の価格が高騰して利益が増大するのならば、そのほうが会社単位で見れば好ましいという判断もありえる。コスト負担する側は不景気になるが、そのコストを受け取る側は好景気になる。全体としてみれば、不景気側の問題の方が大きいと思われるが、今のルールでは好景気側にその面倒を見る義務がある訳ではない。 先進国に途上国の面倒を見る義務が無いのと同じだ。
 
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技術を進歩させて、難しい場所からの掘削技術が理想通り進展し、低コスト化できたとしても、資源の埋蔵量が有限である事には変わりが無い。つまり、いくら掘削技術を進歩させても、それだけでは必ずいつか終わりがやってくる。終わりが来た時、それまでの掘削技術の全ては無用の長物となる。そこに投資するよりは、自然エネルギーに投資した方が、長い目で見れば「まし」である。