chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

エンタテイメントの暴力性について

 
漫画喫茶のマンガの棚を見ていて、暴力を描くマンガが多いなぁと思ったのだが、よくよく考えると、「暴力性」というのは、エンタテイメントのかなり主要な要素なのではないかと思えてきた。
イチゴのショートケーキでいうならば、暴力はイチゴではなく、スポンジの部分、本体こそが暴力なのではないかと。そうだとすると、エンターテイメント作品の暴力性を嘆くと言う行為は、野暮にもほどがあるという話になる。
 
・勧善懲悪もの全般
 正義のため、という大義名分があるとはいえ、見せ場が暴力行為であることは多い。
 
松本人志のお笑いとかは、かなり意識的に暴力を取り入れた笑いだよな。ダウンタウンに限らず、ボケとツッコミの「ツッコミ」というのは、暴力的な要素を伴う事が多い。
 
・いわゆる格闘技の部類、全般
 
ジブリアニメって、実はすごい暴力的なんじゃないか。ナウシカ巨神兵や 怒り狂った王蟲はとても暴力的な動きをする。あの暴力的な要素を抜きにして、ナウシカは語れまい。「となりのトトロ」に出てくるトトロや猫バスは、子供に危害を加えこそしないが、その挙動はとても暴力的で荒々しい。あんな荒々しい、ダイナミックな動きを描かなくてはならない理由は取りたてて無いようにも見える訳だが、もしあれが、安全運行の、のんびりゆったりした動きだったなら、トトロはあれほどの人気作品になっただろうか。トトロや猫バスの暴力的な(ダイナミックな)動き、に類する表現は、宮崎駿のアニメ全般に見られる。ラピュタの「バルス!」だって、ある意味、とても暴力的だ。
 
・まとかマギカ、進撃の巨人
 このアニメから暴力的な要素を抜いたら成り立たないよな。
 
AKB48と、あの類全般
 人気投票で順位を決めるのって、ある意味とても残酷≒暴力的な話で、そういう残酷さに反感を覚えてアンチAKBとなる人も多いのだが、おそらくやすすは、その残酷さ≒暴力性こそがエンターティメントの主要な要素であるということをよく認識しているのだろう。アンチAKB、アンチやすすを唱える人達が、それを超えるエンターティメントを生み出せているかといえば、残念ながら、そうではない。
 
・遊園地のアトラクション
 ジェットコースターとか、暴力的な動きをするよな。管理された暴力であり、安全が保障されているとはいえ、暴力的な挙動を抜きにして、エンタテイメントとしてのジェットコースターは成立しえないだろう。
 
エンタテイメントにおける暴力的な要素と、一般に問題にされる暴力との違いは、それがきちんと意図的に管理されたものだという事だ。ただ、ここで注意しなくてはならないのは、「きちんと管理された暴力」ならば何でも許されるのかといえば、そうではないんじゃないかという事。
 
「いじめ」の問題というのは、いじめる側から見れば、それは「管理されている暴力」だ。自分で管理しているから。なので、「いじめ」はいじめる側にとってはエンターティメントである。しかし、いじめられる側にとってはそうではない。
 
 
一方では暴力性を主たる要素とするエンターティメントを賞賛しつつ、一方では「いじめはいけません!」と教育するというのは、そう考えると微妙な問題なのだなと。
 
 
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そう考えると、いわゆる同人作品が一般受けしにくい理由もなんとなくわかる。多くの場合、暴力性が足りないのだ。例外的に、「ひぐらしのなく頃に」等がメジャーにのし上がったが、やはり暴力を描いた作品だ。
 
 
 
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いわゆる「喜怒哀楽」を描く中の、「怒り」の成分としての暴力という事なんだろうか。「怒」を描かずに、「喜哀楽」だけでエンターテイメント作品を作る事は可能なのだろうか。
 
例えば、延々と森の様子を写す環境映像のようなものがある。「癒し」とか、その手の効果を狙ったようなものね。もし、映画館にお金を払って入って、2時間ほどそれが流れているのを見せられたら、普通の客なら怒って帰ってしまうだろう。何がしか、映画的なストーリーと演出が無いと、客は納得しない訳だ。ここでいう「映画的か/映画的でないか」の境界線て、どこにあるんだろうな。
 
映画に関して言えば、あの「巨大なスクリーン」というものが、暴力性を表現するのに適した環境である、という事は言えるような気がする。他の場所では表現できず、「映画館のスクリーンでしか表現できない暴力性」というものがあるなら、それはウリになる訳だな。