2話の途中、くるみが殺したゾンビがドアの向こうにころがってる所でギブアップした。
まず「日常系」というジャンルについて。
村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある。
日常系というのは、本質的に、この「話型」から逸脱している。そんなものが、商業作品として成立しているというのは、実はけっこうすごい事なのだ。
でもまぁ、日本人なら、「日常系の元祖って何よ?」とかって問われたら、たとえば「枕草子」とか、「徒然草」のようなものが挙げられると思う。これらの作品にも「話型」に準じる部分もあるだろうが、本質はそこではない。
要するに、日常系の本質っていうのは、「詩」「ポエム」なんだろう。
では、「がっこうぐらし!」は、というと、「日常系」のフォーマットの中で「非日常」を語る、という手法が特徴なのだな。
ふつう、ゾンビが出てきたら、「何とかしなくちゃ!」「こうすればいい!」「こうしよう!」「成功した!やっつけたぜヒャッハー」みたいな、まぁ話の展開としてそうなるだろ的な、常識的な展開ってあるじゃん。
ところが、この、日常系のフォーマットで描かれる非日常には、そういう、根本解決を目指す姿勢とか、望みのようなものが希薄で、そういう状況になったのにはそれなりの出来事が過去にあったのだろうと推測され、それだけだと、「穴の中で死ぬ」という話型に行きそうに見えるのだけれど、でも死ぬわけでもない・・・という恐怖。それが怖かった。
物語として、死んでオチがつくなら、いっそ、その方がすっきりするんだよ。ところが、死なない。日常系のフォーマットで描かれる、終わらない非日常。
これは、ホラーだ。まともな精神状態を維持する事ができない。ごめん。無理。