chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

コミュニケーションは手段か目的か。

 
手段だろう、と思っていた。一部の例外を除いては。だから、コミュニケーション抜きで目的が達成されるなら、コミュニケーションは不要な場合もあるだろうと。
 
漫才や落語は、そこに寓話的な教訓が込められている事も多いが、エンターティメントとしての中心はそこにはない。どうでもいいくだらない部分、話し方とか間の取り方とか、そういう所にユーモアを込め、それを楽しむ。コミュニケーションそのものを楽しんている。ここで、楽しむ事が目的で、コミュニケーションは手段なのか、というと、そうとも言えるが、今現在、これだけ多種多様の娯楽が楽しめる中で、なぜ落語や漫才なのか、という理由に乏しい。コミュニケーションそのものが目的なのだ、と考えた方がすっきりする気がする。コミュニケーションの後に得られるものは、何でも良いのだ。コミュニケーションの結果としてなにかを得る事が目的という訳ではないのだ。
 
コミュニケーション不足で問題が起こっている現場に、「もっとコミュニケーションしましょう!」と標語を掲げただけでは、問題解決にはならない。コミュニケーションは無駄だ、という価値観が背景にあるからだ。それを変えるには、コミュニケーションは無駄じゃないよ、コミュニケーションにはそれ自体に価値があるよ、コミュニケーションが目的でも良い場合もあるよ、という文化を持ち込む必要があるんだろう。