chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

所得倍増計画の本質は何だったか。

 
先日の考え事の続き。
 
平和が続く限り、地方が活性化する事は無い
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20170925/1506452957
 
日本の経済成長が低くとどまっている事に関して、「第2次所得倍増計画をやればいいのでは?」というアイデアは当然ある。

三橋貴明の「第2次所得倍増計画」 2014年の記事
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38396
 
しかし、それは現在の日本では、どうにも上手くいく見こみが薄そうに見える。逆に考えよう。なぜ、1960年代の日本では、所得倍増計画が上手く行ったのだろうか。
 
これは、当時の日本が非常に特殊な状態に置かれていたということを考慮しなければならない。
 
・第2次世界大戦で大都市の多くを焼失し、復興途上
・食料不足により、食料品の価格が高騰
 
小麦は米国からの支援があったが、野菜や果物は国産に頼っていたので、それらを生産していた農村は価格高騰で潤った。1950年代の農村部には、バブル状態と言って良いような、活況に沸いた地域が日本中に沢山あった。 農家の古い家屋の多くが、1950年代〜1960年代に建てかえられたものであるという事実がそれを物語っている。
 
食料品が高騰した結果として、都市部のお金が過剰に農村部に移動してしまった。田舎には銀行も無いので、沢山のお金がタンス預金になってしまった。これでは経済が停滞してしまう。
 
それで、まず、このタンス預金を、高い金利で銀行・農協・郵便局に預金する事が推奨された。そのお金は、都市部の復興やインフラ整備のお金として貸し出された。大都市のビルの建設が本格的に始まったのは、1960年代以降だが、この動きと、所得倍増計画は、時代的にリンクしているわけだ。
 
そして同時に、重要なことは、この時代のインフレ率が高かったということだ。1960年には大卒初任給が ¥10,800-程度だったのが、1970年には 3万円を超え、1980年には10万円を超える。給料が10年で3倍、20年で10倍になる時代だったのだ。
 
これを逆に考えてみよう。
 
物価がそれだけ上がるということは、それだけ過去の現金の価値が下がり、同時に借金も目減りするということだ。
1960年の時点で、お金を持っていたのは農村部の人々であり、借金をしていたのは都市の再建のために家やビルを立てていた人たちだ。
20年後の1980年には、農村が1960年に稼いだお金のタンス預金の価値が1/10になる一方で、1960年に借金してビルを建てた人の借金の元金は、実質的に1/10に棒引きされたのに等しい状況になったのだ。実際にはそこそこ高い金利が付いたので、そこまで極端ではないが、しかし金利を考慮してもなお、預金していた人と借金していた人とで、どちらが得をしたかといえば、貯金した人(農村部)が損をし、借金した人(都市部)が得をした時代だったのだ。
  
貯金した人が損をし、借金した人が得をする、などという政策がなぜ可能だったのか。これは政府の人間や、大企業など、行政の深い部分に関わる人間が、どちらかというと借金する側の人間が多数派だった、ということと無関係ではなかったはずだ。これも、はじめは、食糧難により起こった過剰な資本移転を正常化するという意味では、正当化できた話だったのだが、1980年頃には、すでに行きすぎな状況になっていた可能性がある。しかし、一度動き出した仕組みは、バブル崩壊まで止められなかった。
 
(農産物の価格の決定について、一方的に都市部の人間によって価格決定が為され、生産者に何の発言権も与えない制度が公的な青果市場で採用され、主流になった事も重要なポイント)
 
第2次所得倍増計画を、今再び行うとするならば、それは言いかえれば、預金するより借金した方がトクな時代を再び作ろうという話と実質的に同じなのである。1960年代は、お金を持っていた人というのが政治的な発言力が弱くて、計算に疎い農家だったから、それが可能だった。今の時代だと、どうなんだろうね。