chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

消費性の先にあるもの

 
宅急便で送られてくるDMを見て思ったのさ。
DMの中身の広告は、印刷で、全自動で大量生産される。
封筒に入れるのも全自動だろう。
宛名の印刷も、そのラベルを封筒に貼る作業も全自動だろう。
すなわち、広告の原稿と、送り先のデータが有れば、大半が自動化されており、非常に効率的にDMが大量生産される環境が整っている。
 
一方、それを一通一通、ポストに入れる作業は手作業だ。
ポストからMを取り出し、ゴミとしてすてるのも手作業だ。
これらはおそらく、99%以上の人にとって無駄な作業だ。
DMが来て有り難いという人は、おそらく1%以下なんじゃなかろうか。
 
この、配達のムダ、捨てる作業のムダという経済的な損失を、どう考えれば良いんだろうな。
 
極論すれば、配達まで全自動化、ついでに捨てる作業まで全自動化してくれるなら最高だな。
 
あれ?それって、広告原稿をもはや誰も見ていない訳だから、そもそもDMを発送すること自体やめればいいんじゃね?っていう結論になるよな。
 
いやいや、DMが役に立つこともある、経済的に役に立つこともあるってんなら、99%の人の捨てる手間賃をその人にまとめて負担してもらいたいもんだよ。
そこまで考えて本当に役に立つ、経済的にメリットが有ると考えているんだろうか?それを負担する気が無いなら、それってフリーライダーだよね?
  
 
・・・というようなことを考えていくと、大量生産によって作られる物が用済みになるとき、だいたいどんなものも似たような問題を抱えている事が解る。
 
捨てるコストを軽視しすぎなんじゃなかろうか。
そもそも大量生産せずにHappyになれるのなら、それが一番効率いいんじゃないか?っていうさ。
大量生産しなければ、大量の廃棄物も出ない。