chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

映画「万引き家族」つづき

 
万引き家族に出てくる人たちは、働いてもすごい低収入なんだけど、それは本人たちのせいなのか?っていうことについては議論の余地はある。日本では、前科がある人が就ける職業というのがすごく限られる。犯罪は本人の責任だが、そのために受ける社会的制裁の妥当性について、だれも客観的な正当性を主張できないだろう。
 
・収入が低くても、生活費がそれに見合った形で安ければいい訳だが、公共料金にしろ食費にしろ何にしろ、何かを買う時に、ほとんどの場合は価格交渉の余地が無い。せいぜい、安い店を探して買う事ぐらいしかできないが、店どうしが談合して値段を釣りあげられたら終わりだ。遠くに安い店が有っても意味が無い。
 
・つまり、収入を自分で決める事ができないし、支出を自分で決めることもできない。その結果貧困になる、という状況について、普通は支出を減らしてやりくりするわけだけど、そのやりくりの苦労を自分たちに強いているのはいったい誰なんだと。その誰か・・・賃金を決める人たちと商品やサービスの価格を見める人たち・・・に本当に正当性があるのかと言われると、なかなか難しい問題になってくる。今って、単純に強い者の主張が通り、弱い者が割を食う社会になってしまってない?
 

・極論すれば、例えば日本中の経営者が談合して「今後一切ベースアップしません!むしろ毎年賃金を下げます!」って決定したら、ストライキして交渉する権利ぐらいは与えられているけど、交渉の結果がどうなるかは解らない訳で。今の日本の賃金抑制ってその状況に近い訳じゃん。
 
・そういう、賃金を他人に決められ、消費財の価格を他人に決められ、自分にお金に関する決定権が無い中での消費者生活がどうしようもなく貧しくなってしまった時、どんな対抗手段を取るべきなんだろう。現実的な手段として現実に万引きで対抗する人たちが居て、それは犯罪として取り締まられる訳だけど、では、もう一方の、過剰に賃金を抑制する経営者や、安く仕入れた商品にがっつり利ザヤを乗っけて儲ける商売人も、度を越したらそれは犯罪ですっていう話にならないと、社会的な公平性という観点から見るとバランスが取れないと思うんよな。