chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

何を残すかより、いかに何も残さないか

今最大の悩みごとは、実家と親父の倉庫をどうするか。
どちらも、今は誰も使ってない。自分が使う予定も無い。遠いし。
 
放置しておいても、とりあえず怒られはしない。怒る人も居ないような限界集落だから。
リフォームしてどうこう、なんていう事は考えられない。利用価値が無さ過ぎる。
ということは、消去法で、ゆくゆくは解体処分しなくてはならない。これは決まっている。
では、いつ処分するか。
親父が生きている間は現状維持するしかないだろう。親父が死んだ後も、死んですぐ解体という訳にもいかんだろう。
というような事を考えると、早くとも10年後ぐらいか、ということになる。
 
10年間、無人で手入れせずに放置していたら、酷い事になるだろう。
ということは、その間、ある程度は掃除したり、雨漏りの修繕をしたりすべき、という話になる。
誰も住む予定も無いのに? 気が重いなぁ。
 
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親の仕事を子供が継ぐのが当たり前だった時代なら、こんな悩みは無かっただろう。
親が残した物を、子供が引き継ぐ。それが当たり前だと思っていた。
しかし、現実問題として、自分が引き継いで有効利用する事は無理だ。
有効利用できないなら、廃棄するしかないのか。
 
これは、自分が何かを残すべきなのかという話にも通じる。
自分には子供さえいないから、自分が今所有している物のほぼすべてが、自分の死とともにゴミになるだろう。
実際には、自分で身のまわりの事ができなくなれば、介護施設の様なところに行くことになるだろうから、その時点で身のまわりのほとんどの物を処分せざるをえなくなるだろう。そうなる事が解っていて、今から何かをコレクションするなどというのは、非常に無駄だな、と思い始めた。処分する時が辛すぎる。
 
そういう状況が予見できるのであれば、「何を遺すか」ではなく、「いかに何も残さないか、綺麗さっぱりこの世から消えて無くなるか」という事の方が重要な気がしてきた。墓なんて作ったら、誰があとあと面倒見るんだって話になるから、墓すら要らないかもしれない。散骨で良い気がしてくる。