chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

経済成長について

経済成長というのは、今の所、金額で測られている。
だから、経済成長のスタート地点は、お金が無かった時代に、初めてお金が生まれた時期、ということになる。
 
しかし、これは本来、あっまり本質的な話では無い。
現代的な意味での貨幣制度とか金融が生まれる前の時代であっても、狩猟生活から農耕生活に移行する過程では生活水準の向上が伴ったはずで、そこにお金がからんでいなかったとしても、広い意味での「経済発展」はあった、と考えるのが妥当だろう。
 
お金が無い世界における経済発展とはなんだろう?
お金が無かった時代には、まず第1に食料の確保が世の中の至上命題だったはずだから、食料生産の手間や効率がどうだったか、という指標で測る事が出来そうに見える。食料生産にかかる手間が減れば、相対的に食料生産以外の、より文化的な活動に従事できる時間が増え、文化レベルが上がって生活が豊かになって行ったはずだ。
 
19世紀の「エンゲル係数」の理論は、この文脈の中では正しい。コストというのは最終的にはすべて人件費だから、食料にかかるコストが低いという事は、食料生産に携わる人が少なくて済むことを意味し、食料生産以外の事ができる人が増えて、文化水準が向上し、世の中が豊かになる・・・という筋書きだ。
 
ここでめんどくさいのは、食事の質が生活の質や文化の質にもかかわる、という問題だ。消費を減らすために毎日カロリーメイトやフルグラを食べる、という人生が幸せとも思えない。食事にたくさんのお金を使っていたとしても、それに見合う、文化的に豊かな食事ができるのならば、「出費に占める食費の割合が高い」という数字だけで「それは貧しい生活だ」とは言えないことになる。
 
食料生産というのは、生産性の低い工程が多い。だから、食事にこだわる人が増えれば、生産性が下がり、経済成長の伸びは鈍るだろう。マイナスになるケースもあるかもしれない。その一方で、仮に食事の平均的なレベルが向上していたなら、それは悪い事なんだろうか。