chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

Level.86(大将)

 
艦これやってます。艦のレベルが上がって来ると修理に時間がかかるので、ぼちぼちね。やっと3-4のボス攻略できた所で、燃料切れで終了。
 
 
艦これやってて、いろいろ考える。
もしこれが団塊Jrの子供の頃(1970年代)だったなら、こんなゲームは有り得なかっただろう。自分が子供の頃は、第2次世界大戦なんて大昔の話と思っていたが、1970年て、戦争が終わって30年経ってなかったんだよな。一方、自分の子供の頃から現在まで、既に30年以上経過している。そう考えると、当時40代以上の人にとっては、戦争というのは思い出す事のできる身近な記憶だったに違いないと、今なら想像できる。そういう状況下で、それをゲームにするなんていうのは、あまりに生々しすぎて、有り得ない話だっただろう。
子供の頃(1970年代)、お墓参りに行くと、戦争で亡くなった人のお墓は、どれも特別に立派で、手入れも行き届いていたことが印象に残っている。出兵したのは若い人が多かったから、その親が立派な墓を建て、手入れをしていたんだろう。
 
今はもう、そういうのは本当に昔話になった。戦争は歴史の教科書で学ぶことの1つになった。
 
歴史を勉強する場合、まず淡々と事実を知る事が出発点になる訳だが、たとえば「○○の戦闘で○○○○人死亡した」という記録を読んで、そこからその状況を想像する事はかなり難しい。自分はそんな体験をしてないのだから。そうなると、「事実だけを淡々と伝える」ということだけで良いのか?という疑問は当然出てくる。
 
お爺ちゃんお婆ちゃんからの生の話を聞く事が出来れば、もう少しリアリティを持って感じる事ができるかもしれない。それは個人の体験談だから、客観性という面での問題はあるが、人として、より重要な情報は何なのかという点では、「高齢者が若い人に伝えたい事」には、その人生なりの重みがあると思う。
 
歴史教科書以外の形としては、戦争を題材にした小説や映画も沢山ある。小説や映画は、大きなくくりとしては娯楽の範疇にあるものだから、やはり正確さや客観性には問題がある場合がほとんどと思われるが、そういうマイナス面を差し引いても、小説や映画を作り、沢山の人に知ってもらう事の意義というのはプラスである、と考えるのが普通だろう。
 
戦争を題材とし、娯楽作品として作られた小説や映画が許容されるのならば、同じ娯楽作品としての「艦これ」のようなゲームも許容されて然るべき、という話になっていくのだろう。たとえば「信長の野望」なんていうゲームは、TVゲームの創成期から有るが、それに関して「戦(いくさ)をゲームにするなんて不謹慎だ」なんていう話は聞いた事が無い。艦これのようなゲームも、将来的にはそういう位置づけになるのだろう。