chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

生産性の話題

大元のネタ:
「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 --- Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015
 
一見、うんうん、と同意できる事が書いてある。しかしここでいう「生産性」ってさ、利益をどれぐらい上げられるかって話? それとも、物やサービスをどれだけ提供できるかって話?

生産性を上げる以外に、国が、企業が、家計が、より豊かになる方法もありません。

ぶっちゃけ、極論すれば、国や企業が豊かかどうかなんてどうでもいいんじゃないの。個人が豊かであるならば、その集合体である企業も国も自動的に豊かな状態になるはずだろ。
 
では、個人が豊かになるってどういうことなんだ???
 
好きな物が好きなだけ買えれば、豊かなのか?
世界旅行が出来れば、豊かなのか?
好きな人と一緒に暮らして子供がいて、一家団欒できれば豊かなのか?
毎日好きな事をして、自由に過ごせれば、豊かなのか?
それとも、責任ある仕事を任されて、有能さを認めてもらえたら、豊かなのか?
 
そうだ、という人も居るだろう。違うと言う人も居るだろう。
 
それを「生産性」の一言で済ますのは、まぁ便利な抽象表現だが、抽象的すぎて役に立たないよね。
 

 
ネタ元:
生産性の概念が欠如しているのは企業だけではない --- 異常な日々の異常な雑記
http://sencha77.blog.fc2.com/blog-entry-338.html
 
そうそう。概ね、上記のエントリに同意。
 
そもそも論から行くと、経済学が生まれて発達した理由は、その昔の欧米のベビーブームに伴う人口の急激な増加にどう対応するか、という話に遡る。経済学による指南がなければ、沢山の人が飢え、貧困に苦しむ事になるかもしれなかった状態を、救った、という経済学の意義は大きかった。それは戦後の日本でも大活躍したし、目下人口が急増中の途上国でもそのまま有効に機能するだろう。
 
しかしだな、人口が減少するフェーズに入ってしまった日本に於いて、同じように古典的な経済理論が通用するのかどうかは疑ってみてもいい。

 

消費者が新たな消費者=子供を産み育てられるような社会にならない限り、生産性の高い社会とはいえない

この表現は微妙。好意的に解釈するなら何も問題は無いのだが、そこでうっかり「経済成長を続けるために少子化対策しましょう」となってしまったら、因果関係が逆だ。人生のあり方がどうあるべきか、という観点から、少子化問題を論じるのなら良いのだが、それは経済学や生産性の話とは切り分けるべきだ。
 
 
「悪貨が良貨を駆逐する」みたいな話が、あちこちでまかり通ってしまっているのを、改善したいという話なら、スコープが絞られているので問題点を明確にしやすいかな。