消費性とは何なのか、という話の続き。
解りやすいのは、まず、食料な。食べれば無くなる。まさに消費。
次が衣服。着てればやがてボロボロになる。消費。
あと住居な。
なんだが、まず、食べて服を着ないと、仕事をすることができない。消費であると同時に、生産材の一部という側面もある訳だ。
生き金、死に金、っていう言葉があるよな。
生き金が良い消費、死に金が悪い消費とすると、このとき、より「消費性」が高いのはどちらであるというべきか。
消費性が、高ければ高いほど良い指標であると位置づけるのか、低ければ低いほど良い指標であると位置づけるのかで、違う結論になるな。
工場の場合、「生産すること」が、その存在意義であり、目的であるからして、日々生産性の改善に励むことになる。
では、個人の生活の場合はどうだろう。「消費性」を上げればあげるほど良いのだろうか。それは何か変だな。ただの浪費家だ。では、「消費性」を下げれば下げるほど良いのだろうか。いわゆるドケチ。これにも限度ってもんがある。つまり、「消費性」というものは、大きければ大きいほど良いというものでもなければ、小さければ小さいほど良いというものでも無さそうだ。ちょうど良いバランスと言うのがありそうだ。
生産者にとっての生産は目的だが、消費者にとっての消費は目的では無い。手段である。この食い違いが、いろいろな歪みの原因になりうるなぁ。