chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

五十を過ぎて感じること

五十歳をすぎて、目に見えて体調の不具合が増えた
・右目の視力低下。メガネでも矯正できないタイプの視力低下。目をあけている間ずっとなのでとてもストレスになる。左目はまだ大丈夫だが、今後、右目のようになってしまう可能性は高いらしい。やばい。
・耳鳴り。音量の変化はあるが、だいたいいつもセミが鳴いている。
・ちょっと運動すると2日後に筋肉痛がきて、その後一週間なおらない。
 
それでもまだ元気な方だと思うけど、「これから人生下り坂なんだなぁ」と暗い気分になる。
 
体ばかりポンコツになって、人間的な成長は何も無い気がするが、50年という時間を自分が経験してきたことによって、50年がどれくらいの長さなのか、具体的にイメージできるようになった。私が子供の頃に世話になったおじいちゃんおばあちゃんは全員亡くなった。お父さんお母さん世代が今の最高齢者で、元気な人は元気だけど、亡くなる人も増えてきた。自分が子供の頃に年頃だったお兄ちゃんお姉ちゃんがそろそろ会社を定年退職する時期である。同級生の子供が成人式を迎えて社会人になり、さらに子供ができて同級生に孫ができはじめる。
 
この50年でずいぶん日本は変わったけれど、この五十年の人生を2回やったら100年か。100年てけっこう短くないか? という感覚になってきた。50年の人生3回で150年。4回で200年。 200年前なんてショパンが生きてた時代じゃん。若い頃は200年前なんて大昔と思っていたけれど、自分の中に「50年」という尺度ができたことで、ショパンてけっこう最近の人なんだな、という感覚に変わりつつある。
 

OFF

今日の出費
 
・コインランドリー 300円
・昼飯 500円
・車のガソリン 2000円 (2週間分)
・灯油18L  2000円 (1週間分)
・ポトロ    2000円
・散髪&白髪染め 4500円
・晩飯 ちょっと豪勢に 2500円
・2日分の朝晩の食材とお菓子 3000円
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合計     ¥16800円
 
昨日は1円も使わなかったけど、けっこう使ってるなぁ。財布の中のお金がなくなる訳だわ。
晩飯は駅前の店でステーキを久しぶりに食った。年とってくるとあんまり食えない。体調いいときじゃないと。
 

晴れ

体調はまぁまぁ。咳は出始めるとしんどいが、その頻度は下がってきている。冷たい空気がヤバいっぽい。マスク必須。
 
今日はだらだら1日をすごした。暇つぶしに「World of Warships」ってやつをやってる。みんな上手になりすぎてついていけないので専ら低レベでロボット相手の対戦。今日初めて7/9隻鎮めたぜ。はっはっは。
 
動画1本UP。

寒い

ファンヒーターの灯油がすごい勢いで無くなる。
咳が少し悪化。オキシメータの値が95ぐらいに下がっていてしんどいので機嫌が悪くなる。
熱は無い。
 
Win10のPCは何年も前に買ってあるのだけど、Win7で別に不自由してないので未だにメインはWin7なのだが、今日とうとうChomeがWin7での起動を拒否するようになった。しょうがないので別のブラウザ Brave を導入。他にFirefoxも使っている。
 
ブラウザを変えて気が付いたことだが、自動ログインにしているせいで、昔にとったアカウントのパスワードがあやふやになってきてヤバい。Webメールに投げるようにしているが、これのデータが飛んだら詰むぞ。バックアップしておくか。

やばい

メンタル的に、かなりキテいる。
今やっている仕事がうまく行ってないということもあるが、季節的な物もあるかもしれない。
2月に精神的に病む人は多いらしい。
視力の低下が地味にストレス。右目が役に立たなくて、右目はつぶっていた方が見やすい。
目をあけている間ずっと付いてくる問題なので、これがヤバい。
 
先週からまたトレドミン服用中。それでもヤバい。
これといった理由もなく泣きたい気分
石でも飲み込んだかのように胸のあたりが重い。
40年以上、病気の時以外は欠かしたことのないセンズリをこく気分にもならないというのはかなりの重症だ。
あした休もうかな。どうしよう

歴史を書くことの話

このタグを使うのも久しぶりである。
 
ネタ元:ゲームの歴史を書くとはどういうことか?
note.com
 

初心カイさんの記事に書かれていることの主旨は、これは読んでいただけるとお分かりになるかと思うが、あくまでも「『初代プレイステーションには任天堂のDNAが宿っている』とは証明できない」ということである。そうして初心カイさんは、「宿っていないと証明できる」とはいっていないのだ。

 
そういうことって世の中にはたくさんあるよね。
証明できないことについては何も語るべきではないという主張の人もいるみたいだけど、「私はこう思う」「私はこう感じる」までは表明してもいいよね。まぁその、個人的な主張と、客観的な事実を混同して書く人、それも意図的にごちゃまぜにしてどこまでが個人的な見解なのか解らないようにしてメディアに垂れ流す人には困ったものだけれども。
 
証明できる事しか書いちゃいけないのは、まぁ大学の「論文」なんかはそうなのだけれども、その結果として、上記のように「証明できないエリア」の話に関しては何も論文が無いという状況が生じる。それは本当にそれでいいの??という疑問は昔からある。

例えばNHK大河ドラマを「証明できること」だけで構築しようとしたら、博物館の歴史的な資料を並べる事しかできないだろう。ドラマなんて到底無理だ。役者を立てることすら「どのような顔をしていたのか証明できない」訳だからね。
歴史について語るという事は、程度の差こそあれ、何でもそういうものなのだ。