chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

いっそのこと、「はてブ」の名前を「石の裏のダンゴムシ」に変えてみてはいかが?

昨日のこのエントリーはツボにはまった
 
ブックマークのコメントは誰のもの? 悪口言うのと悪口書くのは違う --- 最終防衛ライン2
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20080604/1212568575

炎上みたいに批判コメントが押し寄せるのも怖いが、賛同コメントだけが大量につくのも狂信者っぽくて気持ち悪い。僕はつくづく思っているのだけど、集めれば何でも気持ち悪いと思っている。蟻とかうじゃうじゃ集まってるのは苦手です。はてなブックマークも同じ。喩えはあまりよろしくないが、ブログという石を裏返してみたら知らぬ間にダンゴムシよろしくはてなブックマークが大量についててみたいな。

 
いやもう全くその通り。いっそのこと、「はてブ」の名前を「石の裏のダンゴムシ」に変えてみてはどうかと思った。想像するだけで楽しい。
 
考えてみれば、インターネットのおかげで信じられないほどたくさんの人に自分の意見を届けることが可能になり、その反応を受け取ることも可能になった。しかし一方で、人間自身の処理能力は、昔からそれほど変わったわけではない。(特別なトレーニングを積んだ人は別として。)
 
この、人間とインターネットの「処理能力のギャップ」が、諸々のトラブルの温床になっているのではないかと思えてきた。
 
とても通常の神経では受け止めきれないようなネガコメが届いてしまい精神的トラウマをかかえることになってしまうというような悲劇においてさえ、ネガコメの主張が正しいか、間違っているか、道徳的にどうかということは、実は本質ではないのかもしれない。メッセージを受け止める一人の人間の器、というものを全く考慮せずに、裁ききれないほどの膨大な量の情報を無神経に一度に届けてしまうことこそが問題なのかもしれない。
 
ネガコメの逆のケースを考えてみよう。貴方の書いたエントリーに、何十万人もの人々や著名人から賞賛の嵐が届いたとしよう。そのとき貴方は、平静でいられるだろうか。有頂天になりはしないだろうか。もし有頂天になってしまったら、そのしっぺ返しがいつか来るのではないだろうか。例えば昔のトップスターが、人気の没落したあとに味わう寂しさと同じようなものを感じる時がきっとくるだろう。その結果、貴方は数年後に鬱病を患うことになるかもしれない。
 
ネガコメを規制することに賛同できない理由はもう一つある。システム的に規制することができるのは、あくまで「表面上」だけである。たとえコメントを残せなかったとしても、炎上するはずだったエントリーを見た人が、心の中で「死ねばいいのに」と思ってしまうことまでを撲滅することはできない。汚い言葉を表面的に封印しただけで人の心の中まで浄化できるわけではないのだ。むしろ思ったことをストレートに表現でき、コミュニケーションできる社会の方が、長い目で見ればお互いの誤解を解き、よりよい結果を生むことになるかもしれない。
 
そういう訳で、ネガコメだけがNGで、賞賛コメントなら何でもOKというアメブロのような判断基準には全く賛同できない。規制するとすれば、それはコメントの総量を規制する方が良さそうに思える。その人が1日に受け止めきれるだけの量というものを、各自で自分の身の丈を考えて設定するのだ。ちなみに私は友達づきあいは苦手な方なので、平静を保ちながら真剣に受け止めきれる自信のあるコメントの量は1日3件程度までだ。それ以上は明日にしてほしい。もっとも。俺の場合は頼むまでもなく1ヵ月に1つコメントが付くか付かないかだからそんな心配は無用なのだけど。
 
考えてみれば株式市場でさえ、いわゆる「炎上」のような局面に際して取引停止する「ストップ安」「ストップ高」というような仕組みがある。これに習って1日に受け付けるコメントの総量を規制するという方法論は、真面目にアリだと思うのだが、いかがだろうか。