映画「オッペンハイマー」を見てきた。観客の入りは、田舎の映画館としてはそこそこ。客席は2割ぐらいは埋まってたかな。
事前にはてブに挙がっているレビューはいくつか読んだ上で見に行ったんだが、レビューを読んだ感想と、実際に自分が見た感想は、かなり違うものになったので、わざわざ時間を割いて見にいっといて良かったと思う。
映画の中で描かれる「オッペンハイマー」という人物が、どうにも優柔不断で頼りない人物として描かれ、実際そうだったらしいという話はレビューで呼んでいたので、そこは想定範囲内だったんだが、話のベースとしてロシア(当時はソ連)とアメリカの冷戦の話の比重が予想以上に重かったことに驚いた。まぁ冷静に考えれば、ロシアがウクライナと戦争している上に、ロシアとアメリカが現在も核弾頭ミサイルを向け合ったまま、莫大な軍事費負担を強いられているというアメリカ人の立場からすれば、関心の中心がロシアとの関係に向けられるのは当然のことではあるのだが、自分は映画の本編を見るまでそこにあまり意識が向いていなかった。「そうかアメリカ人の立場から見ると、こう見えるんだ」という気付きを得ることができたという点で勉強になった。
映画は政治的な闘争の話が多すぎて、お世辞にも面白い映画ではない。原爆についての基礎知識をNHKの特集番組などで見てきたオッサン・オバサン世代と、基礎知識が無い若い人とでは、見え方が全然違ってしまうだろうと思う。
自分が映画を見ていて気にいらなかった事は、「原爆の種類には2種類あり、広島型と長崎型は動作原理が全然違う」という話が、この映画の中でほとんど説明されなかったことだ。原爆関連のドラマではありがちな話として、長崎型の原爆研究・製造の話ばかりが出てきて、広島型原爆の開発進捗の話は、大きなガラスのボールに投げ込まれるビー玉として暗喩されるだけという、あまりにも軽い扱いだった。これはひどい。
ただそれでも、この映画を見て気が付いたのは、「広島型と長崎型の2本立てで、平行して爆弾開発を進める」という方針が、かなり早い段階で確定していたんだな、ということ。おそらくそれは史実なんだろう。この映画の最も大きな不満点は、その方針を決めるにあたって、オッペンハイマーの意見もかなり反映されたと思うのだが、その決定の経緯についてはほとんど何も語られなかったという事だ。そして、「水爆のアイデア」もかなり早い段階から既に有ったという事も重要なポイントだ。
「ナチスに先んじて原爆を完成させる」という事だけが本当に目的だったのなら、広島型原爆を1発つくれば十分だったはずなのだ。しかし軍部と研究者のそれぞれのエゴがそれを許さず、軍部と研究者のそれぞれの利害が一致して長崎型原爆も並行して開発を進めることになってしまった。その決定過程にはオッペンハイマーも関与していたはずで、「科学者に責任は無い」と言い切れるのかどうかは疑わざるを得ないし、本人もそう考えてたんじゃないかと俺は思うけどね。
オッペンハイマーが水爆開発に反対したのは、オッペンハイマーにとって水爆が可能なことはもはや確実な話で、水爆が完成してしまった後の世界を想像して反対する立場に立っていた、と受け取れる内容の映画ではあったと思う。オッペンハイマーが政争に負けて排除されそうになっているとき、奥さんが「戦いなさいよ!」と怒るシーンは印象的だが、しかし奥さんは広島・長崎の写真を見ていなかっただろう。オッペンハイマーが研究の最前線から排除されることは、むしろ本人にとって願ったり叶ったりだっただろう。
原爆投下後の悲惨な情景を映画の中で直接的にもっと描くべきだったという意見は、映画ビジネスの話を抜きにするならば、私もまったくその通りだと思った。が、それに対して映画に投資した資本家や金を払ったアメリカの観客が何と言うか想像することもまたたやすい。そういう中でのギリギリの映画表現を頑張っていたとは思った。この映画をきっかけに、関心を持ったアメリカ人が自分で調べてくれることを願うばかりだ。検索エンジンにキーワードを打ち込むだけでいいのだから。